青焔会報 1995年1月号

 
   
提言  
米山郁生
 
   

 黒と紫の絵具を取り出し、完成間際の絵を次々に塗り潰してゆく。時には激しく時には虚ろに。“先生!みんな怒ってやってよう!”彼の声が耳下から離れない。穏やかな笑顔、誰からも好かれる面倒見の良い性格の彼がなぜ、いい具合に仕上がりかけていた作品を塗り潰していったのか。自殺を懸念。家族に伝える。一週間後、自らの命を断ったと家族から電話。家業についての悩みを持っていたと後から聞く。

 “先生!今度の絵だけは是非見て欲しい”・・・・・

 この子の病気を治す為に絵を描いてはいけない。この先生の所へ行くと絵の話をするので行ってはいけない。と主治医から絵を止められた青年。純粋、清潔、人を絶対に悪く言わず、いつも微笑んでいる。毎日のように描いた作品はプロの作家、誰もが賞賛する。中二で中退、二十二才の夏。入院中の病室から土、日の外出の時だけ自分のアトリエで制作する。“先生!今度の絵だけは是非見て欲しい。”彼に頼まれた翌日彼の家へ。イーゼルに置かれた十号程の作品。複雑な描線、色構成、前方の女性が虚ろな表情、上半身裸でこちらを向く。手前に無関心な三人の人物。しっかり塗られた色彩の中、女性だけがポッカリと空白。他に黄色を地塗りした不安定な水彩、クレパスの風景。画面下から中央に延びた道の手前は柵で遮られ、道の中央に黒の障害。行く手には家がどっかりと居座り道は通れない。空には真っ黒な雲が三つ。母親に自殺の心配を伝える。主治医に絵の制作の許可を頂くようにお願いする。一週間後、病院から電話。明日からそちらに行くので宜しく・・・・・。しかし、翌早朝、病院で自らの命を断つ。

 小学校一年生、男子。花を描く。下の方に小さく色もあまり塗らない。上から覆いかぶさるように4色の横縞模様。“躾が厳しいですね。”“はい、父、母、祖父、祖母、四人共。”“もっと優しく、四人でこの子を押さえつけていますよ。”家庭で対処、次第に描くものが大きく力強くなる。

 年長、女の子。“いつも太陽が小さく画面の角に4分の1しか描けていないので・・・・・”と母。“お父さんの愛情を求めていますね。休みの時に一緒に遊んで下さい”次の日曜日にお父さんが一日サービス。その日の絵日記には空に太陽が7つズラリ。

 いじめの問題は東部中学の大河内君の“いじめによる自殺は事故ではない。事件なのだ!”と死の告発によって初めて社会の中で大きく取り上げられる事になった。しかし十年以上も前から、この問題は全国の幼、小、中、高に日常的に起こり常に問題視されてきた。8年程前、教育の場でけんかやギャング集団を勧める指導があったと記憶する。この指導方法が一つ間違えばいじめの助長につながっていったとしたら問題である。

 亡くなられた子供達の家族の方々の心に納得していただく為の、状況把握と原因の追求は当然の事だが、同時に現在も生と死の狭間の中で悩んでいる子供達も多い。直ちにすべての子供達の心の状態をつかみ、子供と親と教師との間でのより良い信頼関係を築かねばならない。それが亡くなられた子供達への追悼となるのだ。

 冒頭に記した例はほんの一例で、絵の中には子供達の危険信号は多く発せられている。性格の強い子は大きく、激しく、濃く、時には乱暴に描き、弱い子は小さく、弱く、細く、薄く、問題を持っている子は不安定な構成、色彩、神経質な線、中途半端な仕上げ等、絵の中にメッセージを伝え様とする。その構図、色彩、線質、描画態度、完成度をチェックし、各学校で絵画に通じた教師が担任の先生と連携を取りながら、全校の生徒の作品を把握。子供と親と三者でコミュニケーションを計っていったらどうか。

 いじめるタイプの子は指導の方法によってはリーダーシップをとる子に。いじめられる要素を持った子は全体の中で波長の合わない子、言い換えれば特殊な資質を持った子が多いと思う。指導によっては、個性的な分野で力量を発揮してゆく子に成長する。

 各々の子供たちは、家庭の中での不満や親の躾の歪みを反動的に学校で発散させていることが多い。親や教師そしてマスコミが責任の所在ばかり気を取られているのではなく、子供達がいかにしたら健全で夢のある人生に向かって歩んでゆく事ができるかを論じてもらいたい。子供にとって両親は生みの親であるが、教師は育ての親でもある。かつて教師は聖職であった。それが子供達にとって最も必要なことではないのか。こうした問題を真剣に取り組んでゆく事によって、後年、情緒障害や精神障害を病む人々の中で、ある部分未然に防ぐ事もできるのではないか。

 いま何を成すべきか。

 総ての人が一体となって、力を尽くして頂きたい。

 
   
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