青焔会報 1995年6月号

 
   
真贋  
米山郁生
 
   

 福井県武生市に“佐伯祐三記念美術館”(仮称)が今秋、開館されようとしている。佐伯祐三と親交のあった吉薗周蔵氏(故人)の所蔵していた油絵三十八点が市に寄贈され、他に手記、書簡等三百点余を寄託、それを基に旧公会堂を改修、美術館開館を計画したものだ。その経緯の中で真贋論争が起こり美術界を揺るがしている。当然、選定委員会を設けたのだが、“佐伯の本当の姿が響いてくる”という初回の評価に対し、新しく出された一連の作品に“絵としてはまずい、習作というより捨てる程の出来のものも含まれる”という意見まで出ている。

 二十数年前、私のスケッチブックを見ていた生徒の中の一人が“一寸見せて下さい”と家に持ち帰ってしまった。翌週返されたのだが、数日後“先生、スケッチブックを返して下さい”と言う “これは私のだが”“いや先生のはこれです”と全く同じスケッチブックを出す。中を開くと総ての作品を模写してある。二冊の作品を比べると違いは判るのだが模写だけを見ると、自分のスケッチブックと思い込んでいては“これは私のではない!”と即座に言いがたい。私の作品の中に紛れ込んでしまっていれば、いつか真作として評価されたのだろう。

 時折、自分の作品を見直す時がある。過去の油彩、水彩、素描、クロッキーを見直すのだが、年と共に気に入らぬ作品が眼に止まる。死後、この作品は残ってほしくないと思う作品は、その都度焼却しているのだが、中々決断のつかない作品もある。描いた時々の状況、思い込みの深さによって決断が鈍るのだが、いつか、手を加えて蘇らせようと横に外しておく。突然の死に到った場合この作品群はどうなるのか。今から消滅の指示を明確にしておくべきなのだろう。

 これは、私の作品でありながら私自身の贋作なのだ。第三者が見た場合、これらはどう判断されるのか。贋作専門に作品制作をする作家もいる。贋作の個展を開き不思議な事なのだが、贋作者として高い評価?を得ている作家もいる。

 ピカソのコレクターがある時ピカソに連絡をとった“貴方の作品の真贋の鑑定をしてほしい”“それは幾らで買ったのか”コレクターはかなり高額な価格を伝えた。ピカソ曰く“そんなに高いのならそれは私の作品だ”。俗世間に対するピカソ流の皮肉なのか。膨大な作品量の中には駄作も多いといわれるが、その駄作も傑作を生む為の糧でもあるのだ。とすれば、この駄作に対する評価は!奔放なピカソであるから、そうした作品も世に出てきたのだが、ルオーのように完璧主義であったなら、一切駄作を出さないで、死後発見される駄作の数々は贋作として評価されたのではないか。

 一九二三年十一月渡仏、ブラマンクに傾倒し西洋絵画の流れの中で苦悶し続け一九二八年八月パリ郊外の精神病院で死亡するまで、一年五ヶ月の一時帰国を含めた五年間弱の間に佐伯の代表的な作品は制作されている。

 ものの本質は、形式的、表面的な事柄に惑わされやすい。一人の人間の内面にさえ絶対的真理への希求と状況への妥協とが交錯する。作家と生涯、空間を共にして僅か数秒の素描をも見落とさず、作品に特別な暗号を記してゆかない限り、第三者が作家の真贋を決定する事は不可能に近い。

 人間が生きている限り、欲求の絡みと思惑によって真贋論争はたえる事が無い。

 
   
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