青焔会報 1999年4月号

 
   
オマケ  
米山郁生
 
   

 最近“若い人達はマイペース、他人の事等お構い無し。情に薄く表現力に乏しい”といった評を様々な機会に耳にする。

 勤務する日本福祉大学高浜専門学校の学生に、他人の心がどこまで読み取れるのか、その心遣いを試験問題の中で問いかけている。まず全員に現在の心の状況、喜怒哀楽を基にした感情を画用紙の上に表現してもらう。具体的なものを描いても、形象的、描象的な形態や色、線で表しても良い。描き終えるとその作品に作者の名前は書かず、符号をつけ裏返して提出。絵の説明、心理状態は他の用紙に絵と同じ符号をつけ、記名して提出する。それが課題の一つ目。自己の内面、考えた事をどの様に表現出来たかを見る。次に提出された絵を無作為に配布、生徒は誰の描いた作品か判らず、その作者の心の中を絵から読む。この人は今、どの様な応対、アドバイスをすれば良いのかをレポートに書く。これが課題の二つ目。他人の作品を見て、その絵の構図、色彩、バランス、線、リズム等から、どこまで描いた人の心を読みとれるのかを見る。そして三つ目、その人に対しどの様に人間関係を保ってゆくのか、どの様な関わり方をするのが良いか、心遣いを見る。そしてもう一度、実施の試験をする。自己の書いたレポートの内容について絵で表す。いわゆる思考を基にして作画をする力を見る。最初に描いた内面の感情、喜怒哀楽を基に作画したものとは対照的な制作プロセスとなり、その表現力をみる。それが課題の四つ目となる。

 それらの試験によると見事、学生の80〜90%が他人の感情を絵から正確に読み取り、アドバイスもやさしくおおらかである。残りの10〜20%の学生も内面を読み取る事は違っても、人への心遣いや神経の配り方は秀れている。介護福祉学科、作業療法学科という、人を思いやる事を目的としたその学業を選択した人柄としての資質もあるのだろう。

 ある朝、登校途中の男子高校生の出来事。5人グループが信号で待っている。おばあちゃんが大きな荷物を持って、トボトボと歩いてきた。信号の近くで蹌踉(よろめ)く。一番横着そうな子がすかさず駆け寄り、腕を抱える。もう一人が荷物を持つ。ゆったりとおばあちゃんの歩幅に合わせて5人が歩く。その内、真面目そうな子が“おい遅れるぞ!”の声に“うん、先にいっとれや、おばあちゃんの家、すぐ近くそうだから送ってくわ”“先生にどう言っとく”“寝坊したと言っといてくれ”“よし判った”3人はかけて行った。5人の様子から“あいつは寝坊しとるんや”なのだろう。

 我校での出欠席は、出席、欠席の択一、遅刻は無い。出席点呼は私がせずに内気な子、元気の無さそうな子にその都度任せる。点呼の応対の仕方で人間関係を見る。遅刻の子の出欠判断は、普段の授業態度を考慮する。遅刻した理由を聞く、その上で生徒に計る。ごく自然体の中で、生徒達は的確な判断をしてゆく。学期末、最後の授業。“今日で終わりだ”と言うと“終わりたくない”“もっとやってくれ”の声が返ってくる。10人程の学生が手を上げて賛同する。“では学校にお願いして来週はオマケの授業だ。来たい人は来る様に”翌週、補習しなければならない生徒は一人も居ないのに、病欠の一人を除いて四十一人全員出席。

 そうした若者達を私達社会がどう受け入れるか、問題はそこにある。

 
   
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