青焔会報 1999年6月号

 
   
燕雀鴻鵠  
米山郁生
 
   

 まだまだ未熟で知らない事が限り無くある。知っていると思っている事でも氷山の一角。その“知っている”という事の殆どが他人の知識や研究、情報等に基づいている。自分の眼で見、体験して確かめた事等、数える程しか無い。いつも、いつも知識の泉や大海原、未開の大地の入口に茫然と立っていると思っている。いつまでも幼児の頃や小・中学生の頃の“これ、何?”という気持ちを新鮮に持っていたいと思う。

 中国に燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく)という諺がある。燕雀(えんじゃく)、安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんやの略で、燕や雀の様な小鳥には鴻(おおとり)や鵠(白鳥)のような大きな鳥の考えは理解出来ないという意味だ。自分が未熟な小鳥であるという意識が、物事に対する探究心や、人に対して謙虚な気持ちを持たせてくれる。絵を教えていても、何人(なにびと)に対しても、そして子供達に対しても、“この人は私よりも鴻、鵠になるかも知れない”という気持ちの中に、人を重んじる心が生じる。

 知識というものも自分で知り得た、自分だけのものであろうか。小学生の頃から、エベレストで遭難した登山家ジョン・マロリーが“なぜエベレストに登るのか”と問われたのに対し、“そこに山があるからだ”と答えた事を鮮明に記憶していた。映画館で見たニュースの一場面であった様に思う。“そこに山があるから、山に登る”当たり前の事、当たり前の言葉がなぜ世界中に報道される程有名な言葉なのだろうという疑問から、特にこのことが記憶に残った。しかし、先日、朝日新聞のコラム・天声人語で、本人が本当にこの言葉を口にしたのかどうか、記録は無い。講演草稿にも似た様な表現はない。真偽不明のまま、ことばは独り歩きし続けた、とある著者、著書名をあげて掲載されていた。“あぁ私の記憶は長い間、曖昧なものを知識として蓄えていたのだ”と深く反省した。が、数日後同じ天声人語に、読者の指摘により、1923年3月18日のニューヨークタイムズに、マロリー自身にインタビューした記事があり、その質問の中に“なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか”の問いに“そこにエベレストがあるからだ”と答えている、と掲載。もし読者の指摘が無かったら、忙しさのあまり、新聞は見出ししか読まない私が訂正の為の天声人語を見逃していたなら、又、私は間違った知識を積み上げる事になっていた。この様な事は考えてみれば日常茶飯事。総ゆる機会に誤った情報を蓄えているのではないか。冤罪に於ける甚だしい人権侵害、名誉回復の為の釈明の曖昧さ、常に塗り変えられる史実、真実と想像の領域の不透明さ、知り得る事と知り得ない事との己との関わり。

 私が知っている事は、私の活動範囲に遭遇した私自身のもの、私の未知が、勉強不足が、怠慢が、真理とかけ離れた事象を知識としているのかもしれない。

 6月8日から無名會展が始まる。私の尊敬する書家、澤井痩蛙子氏の門下生の作品展だ。私は燕雀鴻鵠の文字を甲骨文字で表現した。甲骨文字とは亀の腹甲や背甲、水牛の肩甲骨に刻んだ中国最古、3500年昔の文字。地塗りに動物の血をイメージした朱を塗り、その上に肉、骨をイメージして白を塗る。それをわしづかみにして固い画面に突き立ても字を刻んだ。丁度、3500年前、原始の人達が祈りを込めて文字を刻んだ様に。完成した後に両手両足を交互に上げ、雄叫びをあげたかどうかは私だけの秘密。3500年の昔に使われた形が現在もあまり変わらず使用されている文字も多い。

 人間は時、時に文化、文明を発展させてゆくのだが、3500年、あまり大して進歩していないのかも知れない。

 
   
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