青焔会報 2000年2月号

 
   
いのち  
米山郁生
 
   

 八才の頃、夜半、裏庭で向かいの家の軒下から、フワッと光って大きな人魂が、夜空に吸い込まれていった。翌日、その家の老夫の死を聞いた。“人魂は肉体から遊離した電子エネルギーではないか”と小さい頃から考えていた。

 二十五年程前、研究所に通っていた青年T君が外国へ行きたいと、船乗りになった。羽根を広げると幅八〇p程にもなるインコを、アフリカで捕まえた!と土産に置いていった。ある時アトリエで絵を描いていた私は、突然何かにつかれた様に、近くにあった座布団を油絵のナイフで裂き、真っ白な綿を取り出して赤、青、黄、緑の色をふりかけた。絵筆を二本それに突き立てオブジェ風に整えて、“この作品の題名は埋葬にしよう”と一瞬思い、手を合わせた。なぜか時計を見た。午前三時十分。丁度その時間に十年程飼っていたインコが自宅で息絶えた。

 二十年程前、青年I君が私の所へ毎日の様に絵を持ってきた。中学二年の時精神的に病み登校拒否、病院に入院。絵はプロの力量。入院して約十年、若い主治医に変わって、治療の為に彼から絵を取り、私の所へ来る事を禁じた。外泊の時だけ絵を描くI君は、ある日私を訪ねた。“今度の絵だけは是非見て欲しい”翌日三重の自宅を訪れた。彼の絵から自殺を懸念、両親に頼んだ。“彼は自ら命を断つかも知れない。絵が生き甲斐の彼に絵が続けられる様お願いして下さい”一週間程して病院から“明日からそちらに行かせるので宜しく”と電話があった。その翌日、彼はその許可を聞かないまま、病院で自らの命を断った。

 二十二年程前、会員であったS君がそれまで描いていた油絵7〜8枚を総て黒と紫で塗りつぶした。その後、家で自分の室へ閉じ込もった。黒や紫で描いた絵を塗りつぶす事は自己否定であり、自らの命を断つ心配がある事を家族に伝えた。家業を継ぐ事について思い悩んでいた彼は、一週間後自ら命を断った。

 “先生助けてよ!”“先生あの人怒ったってよ!”今も二人の声が耳に響く。二人が自らの命を断つ前日、私は一昼夜体中しめつけられる様な苦しみにのたうちまわった。二人の亡くなった刻、その苦しみは解けた。

 十五年程前、絵の好きな小学生の頃の友人が精神を病んで入院した。彼の母親が絵を習いにみえた。八十才を過ぎても旅館の皿洗いをして働いていた。一泊写生会の時集合に遅れた。皆を先に行かせ、待った。一時間、おばあちゃんが荷物をいっぱいかかげ、小走りに走って来た。二人で並んで座った写生地、高山への車中、ポツリと“タクシーの運転手が、「おばあちゃん一時間も遅れたら誰も待っとらんよ、引き換えしたら」と言っていた”と言って涙ぐんでいた。夜の宴会の時、いっぱい持ってきた荷物の中から、着物や傘を取り出し、八十過ぎても習っているという踊りを披露した。友人が今入院している病院は絵が描けない。どうしても描きたい!と何度も電話がかかった。私が絵画教室をしている病院に転院するべくおばあちゃんに了解を得て、身元保証人のお兄さんにお願いをした。兄曰く“他人のあなたが人の家の事に首を突っ込まんでくれ。私達はあいつがあの病院に入っているから平穏なんだ!”と。友人は病院で自ら命を断ち、暫くしておばあちゃんも逝った。お墓参りをしたかったが、兄に場所を聞きたくなかった。三年程して親父の墓前で祈っていると、親父の顔と友人、おばあちゃんが次々に頭に浮かんだ。この墓地だ! 直感的に右前方に歩き出した。一〇〇m程先の墓標に二人の名が刻まれてあった。

 十五年程前、父が死の病に伏した。母が父の枕元で“お父さんの苦しみは私が替わりますからね”父が臨終の時、母は呼吸困難に陥り救急車を呼んだ。“二人一緒に逝くのだろうか・・・”タンカが運ばれると母は突然起き上がった。“すいません。暫くお待ち下さい。着替えますから”

 足袋と着物を替えて又倒れた。母に妹が付き添った。救急車の中で苦しみ続ける母。何の手も施せない救急隊員に妹が“こんなに苦しんでいるのに何もしないんですか?”と問い詰めたという。病院では治療室で苦しむ母の廻わりを医師や看護婦さんが走り廻った。暫くして母の苦しみが静まり、“あヽ楽になった”とうその様に自分から起き上がり、帰り仕度を始めた。“お父さん逝ったのだろうか”妹が家に電話をした。その直前、父は何も苦しむ事なく大きく深呼吸をして眠る様に息をひきとった。

  長い縁(えにし)も五月の空の ちぎれ雲

  掌にうけし 花ひとひらの いのちかな

 四月二日 辞世の句を残して・・・

 こうした経験は多い。不思議だけでは片付けられない。誰にも多かれ少なかれ起こっているのだろう。人間を構成する元素分析値と地球のそれとを比較すると、その割合の数値に違いはあるとしても、構成物質が驚く程よく似ている。すなわち宇宙の総ゆるものと人間とは、根本的に組成している物質が同じで、生きてゆく状況、条件によって元素の比率が変わってゆくのではないか。生物と化学物質が同化して、その中間的な新人類が生まれてきたとしても不思議ではあるまい。人の身体の中には酸素が65%占めている。が、しかし人の細胞は、酸素に触れると細胞膜が破壊される。表皮がその防波堤となり、水分の喪失を防ぐ。脳は酸素をエネルギーにして働く。酸素が5分以上脳に廻らないと、脳細胞が破壊され死に至る。人の中の相反した矛盾。その矛盾が+、−の電極を作り生命エネルギーを活発にさせる。宇宙が互いに重力で引き合い、その中から電波エネルギーを発しているのと同じであろう。

 年末になると毎年、四十通程の喪中、年賀辞退の挨拶状が届く。御家族の方が御仏前で何時間も悲しみの涙を流す。泣くがいい、悲しいだけ。想いのあるだけ涙を流すがいい。充分泣いて心を清めてゆくがいい。人は死に至ると肉体は物体化する。生前、肉体や脳の中にあった生きる為の煩悩は昇華され、純粋に宇宙に融合して生命エネルギーとなる。世の中の物質は総て+、−の電子の結びつきで構成されている。その人の精神、魂が死者から遊離して生前、自分とリズムの合った生命エネルギーに呼応、感応して融合しようと働きかけるのだ。今は悲しいかも知れない。しかし、亡くなられた方は死者から遊離した生命エネルギーを、受け入れる貴方の強さを待っているのです。貴方の近くに浮遊して、貴方を見守りながら、貴方の精神エネルギーが充分回復するのを待っているのです。亡くなられた方がもっと生きたいと願っていたものを、思い残しておられた事を貴方の肉体を使って満たせてあげるのです。

 そして貴方は亡くなられた方と共に生きるのです。その人は肉体から遊離した電磁波、生命エネルギーによって光の速さ、秒速三〇qの感応の早さで、総ゆる事を自在に貴方に感知させてくれるのです。そして自分自身を更に大きくするのです。その方の為に。

 
   
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