青焔会報 2001年2月号

 
   
三んまの四っぽ  
米山郁生
 
   

 日進市のある学区、家庭教育の一環として、講演の中のパネルディスカッション、パネラーとして招かれた。テーマは“昔の遊び、今の遊び”。パネラーの構成が面白い。小学生、高校生、高校の先生、主婦、日進で朝市を二十数年リーダーシップをとって活動している七十五歳のおばあちゃん、個々の立場から遊びについて意見を出す。最後に“まとめを!”と求められた。

 私達の小学生の頃、いわゆる戦後の復興期(そんな齢ではないはずだが)家庭に冷暖房の設備等有ろうはずが無い。朝、家に居ても寒い、登校時、分団の集合場所へ皆が早くから集まってくる。冬の寒い時等、風を除けて広場の片隅に集まる。人数が増えてくるとお互い押し合っている内「押しくらまんじゅう、押されて泣くな」とかけ声をかけながら体をぶつけあう。その内十名程になると二組に分かれて馬のり合戦が始まる。負け組の一人が塀や電信柱に背を向けて立つ、その前に向って、頭をかがめて馬を作る。そのお尻、股の間に頭を突っ込み次々と馬をつなげてゆく。勝ち組は全員が順々にその馬の上に飛び乗り、馬を崩す為に弱そうな子の上に何人も飛び乗ってゆく。ゆすり乍ら十一を数える。「一じく二んじん三んまの四っぽ……九さった十がん十一銭」数え終わる迄に馬が崩れなければ馬組の勝ち、選手交替である。双方普段からお互いの体格の良し悪し、強い子、弱い子、くじけそうな子、負けん気な子、総て判っている。自分のチームの弱い子を強い子がどうカバーするかを皆で考える。馬のりに限らない、総ての時にそうした考え方を基本にして、弱い者いじめをする者は卑怯だという事を心の中で育てていった。昔もいじめはあった。しかしそれは強い者同士の争いになり、時には弱い者をかばう為の争いでもあった。又、遊び道具の何も無い状況の中で、いかにして楽しむか知恵をしぼった。

 我が家でも俳人であった父親は金もうけは上手くなかった。玩具も、小学6年生迄、本当に実在するのだと思っていたクリスマスのサンタクロースの贈り物以外、殆ど買わなかった。しかし、人を夢中にする術は上手かった。毎晩食後にゲームをする。5人兄弟に両親、紙と鉛筆を持ち寄り漢字を少しでも多く書く競争。決められた時間の中で、今日は何ヘン何カンムリと課題を出しては書けた数を競う。皆、負けるものかと普段の時も町の広告等注意深く見廻して歩いた。又、豆を取り出しハシでつまんで移動させたり、不規則に多くの数字を書き並べ複雑に足していく等、様々なゲームを考え親も入って皆で競った。時には町内の子供達が集まり、ゲームを通して人間関係の和を学んだ。多くの人達が、生きる事の意義を探り、総てが前向きで、理想や夢、目的が大きく自己の生き方の彼方に確かに存在していた。物、心が常に充足されていない精神状態の中で、気力が充実していた。

 近年、何が社会を、若者を暗くしたのか。金もうけ主義によって事の良し悪しに関係無く、売れれば良いという風潮。自分がより努力して、己を伸ばそうとするのではなく、人のミス、欠点を上げつらって引きずり下ろし、人の上に出ようとする風潮。何がそうさせたのか、なぜこうなったのかを見極めるのでなく、眼の前に見えた事、聞こえた事しか判断出来ない為に事の真実が判らなくなったこと。与えられたものをその枠の中でしか考えなく、又、それでなければ上手く生きてゆけない様な社会。いわゆる絵画でいうと自由画を描く前、幼児期のぬり絵の段階の社会思潮、社会があまりにも幼稚な為に様々な問題が起きるのであろう。

 パネルディスカッションのパネラーの一人、高校生の父親は米国人、母親は日本人。温厚そうな父親の姿を会場に見た。最後の質問を受けた中で逆指名をさせて頂いた。「アメリカと日本の子供達を比べ遊びについてどう感じておられるか?」彼曰く日本には遊ぶ広場が無い、親しく遊ぶ友人が居ない、そして遊ぶ時間が無い。それが若者達を健全に育ててゆけない要因であると。そして高校生曰く、子供会や老人会が有るのになぜ中学、高校生の会は無いのか、考えさせられる事は多々ある。

 各地の成人式が荒れた。しかし若者達が自分達の非を認め対応し、事の起こる前よりも双方の心の有り様が進転する。東京新宿 山手線で、ホームから転落した見ず知らずの人を助ける為、わずか数秒にかけて、自らの命を無くした韓国人留学生、李さん、そしてカメラマン関根さん。人の美しさを信じたい。完璧になる必要は無い。まだまだ美しくなれる。純粋で献身的なその可能性を誰もが信じ、夢を広げたい。関根さんや、李さんの魂を通して。

 
   
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