青焔会報 2003年5月号  
   
変貌  
米山郁生
 
   

 正に神の国 日本である。

 何が起きても我が国は健全であり汚染される事は無い。世界でどの様な騒動異変が起きてもそれは他の国の事、他の世界の出来事であり神の庇護の元に立国した我が日本は何ものにも犯される事は無いのである。

 猛威を振るう新型肺炎の重症急性呼吸器症候群(SARS)に対する国の方策を見ていると指導者の思考回路を疑う。世界保健機関(WHO)がSARSを始めて確認したのは2月下旬。感染国は28、感染力は極めて強く、死亡率は約15%、65歳以上で驚く事に50%以上。香港で感染した医師曰く、診察の際の二言、三言、お腹を触っただけで感染という。機内で、エレベーターの中で、病院で、総ゆる公共の場、家族の関係の中で。1万分の1ミリというとうてい眼には見えぬ細菌によって人々を恐怖の中におとし入れる。感染国、各国が万全の対策を打つべく対処している。タイでは関係国からの入国者を総て体温測定、2週間の自宅待機。ベトナムでは情報公開、追跡調査を徹底、国を挙げての初動対策で4月28日には制圧宣言。シンガポールは感染防止の自宅隔離策、監視カメラの設置を。中国は学校、病院、宿舎ごと隔離、上海では2秒で体温測定が出来る器機を設置、高速道路を含め出入りする総ての道を封鎖、警官がバスに乗り込んで全員の身分証明書をチェック、飛行機内でも2週間以内の行き先、全員の連絡先を把握する徹底ぶり。

 そうしたさなか、4月25日今月末の国際児童画交流展の打ち合わせの為上海に行っていた周君が帰国。東方航空、上海、西安、大蓮、北京、重慶、等からの帰国者約200人、SARSを心配して全員が検疫カードに旅先等記入の為用紙を求める、空港職員が「記入しなくていいから、通って...」と全員ノーチェック。

 5月6日厚生労働省が都道府県の担当部局長会議を開催、各県が問題点、批判や不満を出した。「国として何の見解も出されていない」「都道府県に任せきりは無責任」「疑いや可能性のある患者を一般病院で診るのかどうか」等の問いに厚生労働省は「持ち帰って検討したい」と答えていると報道された。時は過に5月6日である。世界の感染国が国を上げてSARS撲滅に力を注いでいる時に何の対処もしないで傍観している。日本に非常事態が起こらない事は偶然の事でしかあるまい。起きて当たり前と誰もが感じている事を他人任せで処置をしようとしている事は薬害エイズ事件、ハンセン病の例をとって考えてみても異常な事ではないのか。

 ワクチンの開発までには年単位の期間が必要とされるという、起きてから暗中模索し解明してゆくのではなく、予防的処置は出来ないのだろうか。人から人、動物から動物に移る病原微生物に対する免疫力は、ある程度限られた範囲で対抗出来るのであろうが、問題は動物から人に移るウイルスである。人間社会の清潔にしてゆく事が文明の一つの証しであるとして発展してきた、その人の抗体はあまりにも弱体化しているのに対し、野生生物のウイルスが変異変貌し発達してきた場合、今回の異常事態を生むことになる。この状況は今後更に多くの未知の病を生む事は明白であろう。

 日本は予防医学に対しどれ程の知識と実践が成されているのか、日本の秀れた医学界の中では当然そうした実情とアピールは発しているとしても問題は政治の中に浸透していないのではないか。大がかりな国立ウイルス研究所を創る。病原体として可能性のある多くの動物のウイルスを保存する、常にその変異の動きの可能性を問いかけて試行する。日常的にその研究が成されていれば他の数限り無い病と抗体との研究成果も上るであろう。そうした機関はあって当たり前、私が知らないだけ、としたらなぜこの時期その研究所が主導権を握らないのか。常識的に誰もがその事を必要としている事を真剣に取り組まないで事が起こった場合、関係省庁の当事者の議員は議員資格剥奪位の法制化を作ってもらいたい。責任省庁があいまい、複雑なのも国の責任であり、その責任のがれをしたり、言われなければ物事の出来ない人間にリーダーシップを取って頂きたくないし、事が起こってからしか対処出来ない人間に国民の命を托す訳にはゆかない。

 国民主権の国であって、神の国でも、お上の国でも無いのである。

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県名古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ