青焔会報 2004年8月号  
   
 
米山郁生
 
   

 新栄、5Fの研究所へ突然警備員が入ってきた。「先生、先生の車がぶつけられたので」「えっ 私の車知ってるの」「えゝ、いつも見ていたので」1F駐車場へ行くと25才位、若いカップルが二人揃って頭を下げた。「すみません」いかつい私の風体を見て自然に頭が下がったのか、神妙にしている。

 車の前のバンパー左角が大きくすれている。「貴方の車は」と聞くと、「ボウリング場の外に出ている」と言う。「外へ出てから戻ってきたの?」「えゝ、中に停める所が無かったので」「そうか、警備員が見ていたの。それとも自分から?」「警備の人を捜して持ち主を聞いたんです」ちょっとうれしかった。「偉いじゃないか。黙って行っちゃえば判らなかったのに」駐車場の角に止めてあった私の車の左側から右折、ハンドルを早く切り過ぎ自分の車の右腹をバンパーにすらせたのだろう。自分の車も大きく傷ついているに違いない。「まあ 許してやるか」と思ったが私の意地悪心が頭をもたげた。「それでどうするの」「言う通りにします。言って下さい」「そうか、言う通りにするか。じゃ少し考えとくね」青年は連絡先をメモに残した。

 三日程して電話があった。「どうしましょう」「あゝ 忙しくて考えてなかった。で、保険で直すの?現金で?」「金額によります。その部分だけの修理でしたら現金で、バンパーを替えるなら金額によって」「よし判った。じゃ又ね」又三日後にTEL。「金額判りました?」調べるつもりも無いから判るはずも無い。「あゝ 一度こちらに寄ってよ」彼の家は千種一丁目、車で5分位の所だ。翌日研究所にやってきた。丁寧に詫びる。「どうしましょう」「いいよ もうこれで」あっけにとられた顔をしている。「貴方の態度が気に入った。知らん顔して逃げたら、逃げられたのに正直に持ち主を捜してくれた、そして何度も連絡をくれた、大人になると段々とそういう気持ちが薄らいでゆくからね、この事を忘れずに、貴方のその気持ちを大事にして頑張ったらいい」

 事故当日、家には電話されたくないと言ったのは、家族に心配かけさせたくないからなのだろう。今春就職したばかり、職場の配属はこれからだという、車をぶつけられた相手の気持ちになったら、知らん顔は出来ないと語った。いい想いをさせてもらった。私の車の後のバンパーにはパトカーに追われた暴走族が、後からぶつかってすり抜けて行った大きな傷がある。あちこちに駐車場でつつかれた古傷がある。傷だらけの人生ならず輪生だ。

 最近もの忘れがひどくなって探し物が多い。先日もその対策の為書類を大量に整理、よしこれで万全と思った翌日、整理した事を忘れて一騒動。今回の好青年の一件も一と月もすれば忘れるかもしれない。修理はしない事にした、車に乗る度にさわやかな気持ちになれるであろう。

 人の心の動きは様々だ。いつだったか夜半、研究所の近くタクシーが歩道に乗り上げ、街路樹にぶつかって大破、運転手がフロントガラスに頭をぶつけ、ハンドルに覆いかぶさっていた。ぶつかって間も無いのかエンジンもライトもつけっ放し、だが周囲に誰も居ない、「大丈夫か」65才位、気の弱そうな人、意識はもうろうとしている。救急車を呼んだ。車と接触、相手の人はのぞいて逃げたと言う。自宅と会社の電話を聞いた、虚ろな中で「家には電話しないでくれ、嫁がうるさいから」という。後を警察とタクシー会社に任せて去った。翌々日会社へ電話、運転手の容体を聞いた。「本人が大丈夫と言うので病院には行ってない」の返事に「大丈夫な筈はない、車が大破、フロントガラスに頭をぶつけて何とも無い筈は無い、無責任だ、何かあったら承知しないぞ」と又、言ってしまった。2日後の電話には丁寧な応対、「はい、きちんと病院に行って、対処しております」

 事にあたって様々な対処の仕方がある。自分の事だけ考える。表面に表われた事のみを処理する。相手の事を考えて行動する。人の動きは様々だがそれはその人の人柄、だけでは済まされない。子供の頃の育てられ方に多く起因するのではないか。厳しいだけ、甘やかされるだけ、誉めつづけ、叱られつづけ、いじめ、いじめられ、そうした片寄った育て方、環境のあり方、でなく、しっかりと厳しく、大いに楽しみ、泣き、笑い、時には議論し、敗北を味わい、有頂天になる事も味わい、感性を豊かに育てる事が、社会の様々な状況に対応する力を養う事になる。

 人生山あり、谷あり、どの場面をもしっかり歩む事が出来れば、味わい深い人生となる。

 
   
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