青焔会報 2004年9月号  
   
メダル  
米山郁生
 
   

 中学生の頃新聞配達をしていたせいで足には自信があった。特にマラソンは常に上位。日本ガイシに入社して70種類程のクラブの中から陸上部、コーラス部、絵画部を選んだ、自分の中の可能性を探る為でもあった。浅く広くでは何も残らない一つの事を深く極めれば、どの様な事に対しても深く洞察、実践してゆく事が出来るのではないかという考えからだ。

 陸上部入部直後のトレーニングで自分を鍛える為、親指だけで腕立て伏せをしたり、かかとを地面につけずつま先だけで走っていた。それを見ていたコーチが "中々いける、社会人陸上競技大会に出てくれ"と言った。経験も自信も無く、状況も判らないと断った。次週 "1500mに申し込んでおいたから"と伝えられた。そんな無茶な、実績も、タイムも、何もチェックしないまま、つま先だけで決めるなんて!何も勉強していない小学生に大学を受験させる様なものだ、船の操作も出来ない者が太平洋を横断する様なものだ、生まれたばかりの者が死を宣告された様なものだ、と総ゆる抵抗を試みた。"もう取り消しは出来ない"あっけない返事に押し切られた。―悪夢の日々―

 当日、スタートラインにつく。大人の中の子供の様に一番のチビ。一せいにスタート。一位であった、その瞬間の一秒位は!その後は推して知るべし、瑞穂競技場のグランドを何週も廻るのだが当然下位争いをしていた。私の前を走る選手が一人抜け、二人下りとグランドのコースを勝手に外していった。"おいおい待てよ一緒に走ろうよ"と思っても無駄、私の後を走っていたはずの選手も知らぬ間に消えた。かくて満員の観衆の中で孤独な走者となった、が、ここで生涯忘れ得ぬシーンを味わう事となる。一位走者がゴールインした時パラパラと拍手が鳴った。その後次々とゴールに入った各選手、長い距離を残して後尾集団の人々が栄光への道?を私に託して横にそれた。当然 ビリ。恥ずかしさと、出場した事への後悔、自分に対する腹立たしさで頭の中が真っ白。そして青くなったり、赤くなったり。それでも絵を描く時は最後の一筆まで疎かにしてはならないと常々思っていた。 "今日はこのグランドが私のキャンパスなのだ"と……

 パチパチ、観客席の一部からの拍手に我に帰る。その拍手は次第に広がりグランド全体に鳴り響いた。優勝者ではなく、ビリの走者にこれ程までの拍手、人間の心は何と素晴らしいのだろうと胸を熱くした。

 オリンピック生誕の地 アテネオリンピックに日本中が沸いた。いや日本のみならず世界中が沸いた。これ迄で最も多い202カ国の参加、選手の活躍は多くの感動を呼んだ。その表面の華やかな部分は多くの人の知るところとなり、選手の活躍をメダルの色に置き換えて見てしまい勝ちだが、その陰では人に知られず努力する多くの人々が居り、物語りがある。そして、そこには人生の味わい深い教訓がある。

 柔道の優勝候補、日本の選手団団長の井上康生が敗れた。敗者復活戦でも負けた。実績もあり金確実と言われていた彼は、負けた後も日本選手の試合を可能な限り観客席から応援し続けた。帰国の羽田空港では室伏選手の後から目立たぬ様に消えた。彼の誠実さに、人情に、そして精神の純粋さに力の限りの拍手を贈りたい。女子レスリングで金メダルを取った吉田沙保里は、五輪出場のかかった2月のクインズ杯二日前に40度近い高熱、その吉田を同じ様に翌日五輪出場をかけ試合を控えた岩田怜那が真夜中まで額を氷で冷やして看病したと伝えられる。残念な事に岩田怜那のアテネキップは夢と消えた。柔道の阿武教子、二度の五輪敗退、三度目の挑戦で金。自分の育ったスポーツセンターの子供達へのアドバイスに自分がなぜ負けたのかそれをしっかり受け止めて次に進んで欲しいと伝えた。自己をかえりみて決して見なかった過去の敗退のビデオを見て試合に挑んだ。結果"金 "自己の失敗を見つめるという事は学ぶべきことが多い。親は子供に失敗をさせない教育をしてはいまいか。子供の頃に出来るだけ失敗をさせる、そしてその失敗をどう克服してゆくのか、成長の鍵はそこにある。物事は常にマイナスの作業を経て確かな成長を見るのだ。他にも数え切れぬ感動のドラマがあるがまたの機会を待つとしよう。

 オリンピックの幕を閉じ、パラリンピックが開催された。障害をもった人達が世界に集いその技を競う。世界がスポーツによって純粋に競う姿は魂の輝きを見る様だ。そこには頂点を目指す努力とそれ迄の地道な鍛錬の積み重ねが必要となる。日常の努力無くしていい記録は作れまい。世界に名を成す選手は、幼少の頃から血の出る様な努力を重ねて結果を出してゆくのだ。芸術もしかり、素晴らしい作品を制作するという事は、その才能があるから出来るのではなく、日頃の思考とデッサンと暗中模索の制作の積み重ねを経て自らの作品を生んでゆくのだ。総ゆる学問、研究、スポーツ、芸術、形ある総ての物象は単なる発想や事象の転換だけで出来るのではなく、過去の記録や伝承、歴史を自己のものにする努力と、更にそれらを踏襲した上での改革によって価値を造り上げるのだ。パラリンピックはハンディの克服に加え、記録への挑戦と二重、三重の努力を重ねなければならない。オリンピックが終わると意識も関心も薄らぐ。世界の人々が障害に対してより一層の理解を深める為にも、健常者との同時開催が望ましい。

 スポーツの秋、各地で幼稚園や小、中学校の運動会が開催される。オリンピック選手の活躍を賞賛したわずか一と月程で、我が子の競争で順位をつけるのは差別だ等の声が出る。対応は様々だが、強い子、弱い子に分けて走る、一番以外は順位を明確にしない、極端なところは順位をつけずに全員走りっぱなし。運動の得意な子が大声で叫ぶ "勉強出来る奴は受験の時にちゃんと差別つけといて、何で運動だけいい加減にするんだ"

 ビリでもいい、しっかり感動を味わうビリがいい。

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県名古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ