青焔会報 2004年10月号 | |
日月星震 | |
米山郁生
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私の好きな画家の一人に高山辰雄が居る。深い精神性、日展顧問でありながら日展の画風とは異なった独自の精神世界をつらぬいている。時が止まった様な画面でありながらその画面から宇宙に広がってゆく幻想性。誰もが目的地を目指して早い足どりで歩んでいっても高山辰雄は我関せず、自己の足で自己のスピードで納得のゆく中でものを見つめ、感じ、追求してゆく、それでいて皆が急いでたどり着いたその先に居る。多くの人がその独自の精神性を評価しているとしても、本人は純粋に当たり前のものを見つめ、感じ確かめているだけに過ぎないのだろうが、その当たり前さが氏の場合崇高な位置に居るのだろう。 その高山辰雄の代表的な作品の一つに日月星辰がある。その題名からイメージが広がった自然の広がりと静寂、宇宙と自己との合体、高山辰雄が持つ精神世界での日月星辰。 その題名が私のイメージの中では、高山辰雄の健康の気がかりと、太陽、月、星の調和が崩れた天変地異の起こる予感がした。地震、台風そして世界的な政情不安とテロ、今年の日本表現派展出品作はそのイメージを土台に決めた。地殻変動や天候不順、政情不安から日月星辰の辰の字を震に変え題名とした。画面は縦型、横長のパネルを三段に積み重ね、上に延ばす。太陽、月、星を重ね米国に追随する日本の政治の在り方の疑問を、日の丸と星条旗の星をダブルイメージに重ねた。月は旧ソビエト連邦時代からひきずっているチェチェン紛争の不安を表わし、旧国旗の中のカマの型と先端に光る一つの異なる星を描いた。その日月星を上方に置き、中段には天変地異を表わす災を、下段には想い苦しむ姿を人物像として重ねた。7月25日、研究所で下見会を開き奈良から九十才の会の代表を招いた。その時点で下絵と題名を決定。8月15日 図録作成の為全国の出品者の図柄、題名を印刷所へ渡す段取りを終えた。 不可思議な事はなぜ起こるのだろう。 私の信頼する著名人、S氏から御父上の描かれた日本画と書の作品集を半年程前に頂いた。その後原画も見せて頂いたのだが、高山辰雄の作品を彷彿とさせる感性の豊かな、悠然とした氏の作品を又見たいと願っていた、同時に御母上も描くのではないか、描くとしたらどの様な作品であろうかと思っていた。10月17日、高年大学17期生の作品展に招かれていた。会場は大学内のホール、しかし確認もせず市民ギャラリーに出かけた。目的の展覧会は開催されていなかった。会場を違えて出かけた事は初めて。しかし、ギャラリーではホシザキ、粋星会のグループ展、中央にS氏の御父上の遺作と奥様の作品が並べられていた。 日本表現派展は10月26日から31日、同時期にJ室で書展梓会展が開催される。主催者は私の書仲間の勝川さん。昨年も同時期開催、私の展覧会案内状は毎年千数百枚。昨年はその中から一枚だけ抜いて机の上に残した案内状がある。当然出さねばならないはずの勝川さんのもの。主催者の御主人は毎年会期中に何度も私共の会場に来られ、"米山さん、宜しくね"と親交を深めていた。その方の案内状を出さずに抜いた。昨年、御主人は会場に来られなかった。会の人に知らせを頂いた。開催直前、天寿を全うされた。 |
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