青焔会報 2005年7月号

 
   
素材  
米山郁生
 
   

 顔料は各々に色を持つ細かい粒子だ。粒子だけでは紙やキャンパスに定着しないから粒子と粒子をつなぎ、紙やキャンパスに固定してゆく接着の為の展色材が必要となる。どの画材も展色材を光が透過して重なった色の連なりを見せる。

 画布の上に塗られた色が青色としよう、その上に赤を塗る、赤の粒子の間の透明の展色材を透過して下に塗られた青が見える。10色、20色、時には百数十回の重ねられた色の合間をぬって、下のキャンパス地まで届き跳ね返って見る人の眼に映る。途中濁った色を塗るとその色が眼に映り不快な色合いを感ずる。下塗りだから、上から隠してしまうのだから良いのではなく、見えない部分でどういう仕事をしてあるかがその作品の良し悪しに影響する。

 見栄えのいい絵、技術の上手い絵に感心はしても感動しないのはその為だ。絵には心が必要であり、思想や、夢、情感が求められる。人の心の深奥に響いてくるものは表面的に見えるものではなく、見えない部分に感じるその心ではないのか。宝石が高価であるのは一つ一つがオリジナルである事と微妙な色合い、その深さ、光と共に変幻する色調、それは5年、6年と色を重ねて描かれたルオーの油彩画に通じるものがある。

 水彩画の場合でも色を重ねる事によって深みを増す事は言う迄も無い。水彩えのぐは顔料に北アフリカ スーダンのアカシア科の木の樹脂アラビアゴムを10%、水を85%、グリセリン5%を混ぜて不透明水彩になり、アラビアゴム30%、水60%、グリセリン10%にすると透明水彩になる。透明、不透明は展色材の割合によって変わるのであり、不透明水彩も水を多くする事により透明の効果を持つ事になる。只、固着力が弱まる。アラビアゴムは水に溶解しやすいのでそれをいかに作画に利してゆくかが制作のポイントとなる。

 身近な事柄に言いかえると料理と同じで各々の持つ素材の良さうまさがある。素材も各々の新鮮度、熟し時によってうまさの度合いが変わる。それをどう使うか。生のままで、煮る、焼く、むす、あぶる、ひたす、漬ける、様々な調理方法を用いる。又、それらをどう組み合わせるか、調味料をどこでどう使うか、そのタイミングと量、時間によって更に味に変化が出る。物によっては長時間味の蓄えも必要となろう。そして季節と気候、その日の天候、時間帯、更にそれを食する人の職業、性格、健康の状態によって味覚は変わってくる。当然その料理の出される量と順序によっての味のつながり、時間的なタイミング、間合いが要素を加える。料理はその種類によっては不特定多数の人に供するのであるから相手に微妙に合わせる必要があるが、最終的には自分の料理の魅力に相手を引き込む事が出来るかどうか。調理方法が判り切ったものに対して人は魅力を感じない。素材を生かしていかに複雑に味を見せるか、その不可思議な状況が料理を絶品とする。

 絵も同じ各々の素材は一つの色であり、それをどう配色し、どう重ねてゆくか。

以下 次号

 
   
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