青焔会報 2005年9月号

 
   
危機  
米山郁生
 
   

 これは何だろう。それまで見た事も無いものだった。つつくと固い細かな棒状の糸が手にささる様な感触があった。手でつまみ、空に放つと固まりが分解、太陽の光に反射してキラキラと輝いて舞った。きれいだと皆でつついて遊んだ。今でも明確に記憶しているが道端のあちこちに放置してあった、その近くの工場らしい建物の入口に○○石綿株式会社と大きな看板が掲げてあった。しばらくの間もの珍しく遊んでいたのだが、一と月もするとこれを吸うと体の中一杯にささって取れなくなるのではないかと疑問が沸いた。それからはその場をさけて通り新聞を配った。1957年。中学一年、新聞配達の途中の出来事である。

 アスベストが世間を騒がせている。旧環境庁が1981〜83年に実施したアスベストによる大気汚染濃度の調査で、当時2000以上あった関係工場の内、周辺の汚染状況を測定したのはわずか3工場のみ。85年旧環境庁はこの調査結果を基に“一般国民”へのリスクは小さいとして規制を見送ったと中日新聞が報じた。環境省は適正な調査だったとしているが、2000箇所の内の3ヵ所のデータだけを取って全体を判断するとはあまりにも曖昧すぎる。関係する省庁としては、当時、環境庁、建設省、文部省、労働省、等多くの人達がその問題に関わっている。1972年世界保健機関(WHO)が発ガン性を指摘してから三十三年、実際に事が起こらなければ対処出来ない、という事ではあまりにも無責任ではないのか。こうしたらこうなるのではないかという想像力の欠如。自分が関った以上その事柄に真剣に取り組もうとする責任感の欠如。自分の手の届く周辺の事だけに終始し、その事に関連する多くの事象と連携を組まなければならないという社会性の欠如。その事が最大限どの様な危険を及ぼすかという危機意識の欠如。巨大な沈黙に向かって発言してゆく正義感の欠如。耐熱性、耐久性に優れている、自然に産出し安価である、電気を通しにくい、摩擦に強い、様々なプラスの面を重視する為に負の面を見ない様にして来た社会全体の責任ではないか。

 今後、30年余で死者10万人とも言われる。アスベスト禍は我々自身の問題でもあるのだ。

 東濃、下伊那に原発の高レベル放射性廃棄物最終処分場を作る計画がある。土岐市では1986年地元に説明の無いまま、それまでウラン採掘をしていた業務を廃止して核廃棄物を1000米の地中に埋める為の地層処分研究を始めた。原子力発電は運転すると始めのウラン燃料の1億倍の核分裂生成物が出来る、それを再処理してプルトニウムや燃え残りのウランを抽出する。放射能は殆ど減らず、濃縮され高レベルになる。その廃液をホウ硅酸ガラスで固め、厚さ5oのキャニスターというステンレスの容器に入れる。この廃棄物一本で広島型原爆1000個分の死の灰が出来る。日本には53基の原発が運転中。処分場に埋められるガラス固化体は4万本から7万本と言われている。広島原爆の4000万〜7000万倍!

 ガラス固化体の発熱は30年〜50年かけて冷却貯蔵する。青森市、六ヶ所村がその為の施設だ。その後オーバーパックという鋼鉄の容器に入れ、更にベントナイトと呼ばれる粘土で覆って地下の坑道に埋没する。放射能の強さが半分に減衰する迄の時間、半減期が数万年にも及ぶ超長期の核種も含まれており、医療や生物学ではその安全を考えた場合、半減期の10倍の時間が必要と考えられている。全く安全になる迄に数十万年を必要とされるものを私達の生活する地域の地中に埋める。

 ガラス固化体同士ある距離に近づけると、お互いの発熱で温度が上がってしまう。それがどの程度でどの様になるのか、データが無い。ベントナイトという粘土は100度以上になると劣化してしまう。ガラス固化体の外側のステンレスは300年位で確実に崩壊すると言われている。数十万年その威力を持つ核廃棄物を保護する容器がわずか300年。その後はどうするのか、誰がどう責任をとるのか、一部の人間の無責任な判断で私達の子孫が計り知れない危機に曝されるのをどう考えてゆくのか。地震国日本、事が起きた時埋められた物体がどうなるのか、明解に答えられる人は居るまい。容器が崩壊しその後漏れ出した放射能が地下水や土壌を汚染すれば、総ての人間や動植物に計り知れない危害を与える事は明らかだ。国は2002年から毎年13億5千万円もの金を、本来原発を受け入れた地域に交付される電源立地特別交付金を瑞浪市隣接十市町村に20年にわたって配布する。総額280億円。うまいものを食べ、楽をした人々はその味が忘れられず将来起こり得る悲劇に目をつむる事になる。

 平成12年12月、衆議院議員近藤昭一氏が東濃「超深地層研究所」の建設に関し13項にわたる質問主意書を国会に提出した。当時の森喜朗首相は「研究実施区域に放射性廃棄物が持ち込まれる事は無いし、当該区域をその処分地とする為の研究が行われるものではない」とし、又「地元が処分場を受け入れる意志が無い事を表明している状況においては岐阜県内が高レベル放射性廃棄物の処分地になる事は無いことを確約します」と答弁している。

 処分地にする事は無いとしてなぜ地層処分を行い得る為の岩石調査をするのか、なぜそうした事を住民に隠していたのか、280億円にも及ぶ交付金を支給しなければならないのか。瑞浪周辺の市町村が反対している内は造らないが、金づけにしてその市町村長が了承すればただちに実施する体制を整えているのではないか。

 死の町チェルノブイリの汚染、フランスから海上輸送されたわずか28本の高レベル廃棄物が世界中の港や経済水域から通過を拒否された事実。湾岸戦争やイラクで大量に使用された劣化ウラン弾、数え切れぬ程の多くの被害と生まれてくる子供達の目にあまる障害。又、この地は矢作川、土岐川、阿木川、中津川、木曽川、長良川、庄内川、総ての源流地で広く三河湾、伊勢湾をも核汚染する事になる。社会の進化を停滞してでも核政策を見直さなくてはなるまい。現在の電力事情の中での原子力の依存率はどの程度なのか、他の電力への切り替えの研究はなされているのか、安全な内に廃棄処分出来ないものを生産する事は罪である。私達は日々無意識の内にその恩恵を被っている。

 50年前アスベストの危険を感じた。それを止める術を知らなかった。核廃棄物は総てのものを埋葬する危機を孕んでいる。

 現在の安泰は未来の安全の保障、確信が無ければ何の意味も持たない。

 
   
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