青焔会報 2006年6月号

 
   
盗作  
米山郁生
 
   

 研究所に美術関係を中心に図書が約7000冊ある。いつか見たい、読みたいと思い集めて来たものだが、忙しさのあまり完全に読み切った本は一冊も無い。忙しさはつのるばかり、いつ読めるのか皆目見当もつかない。その中で5,6年程前手に入れた小冊子が気になっていた。B5判、41頁、発行は昭和59年、26年前の古本。“文化庁長官への提言”日本に文化庁が創設。その初代長官に就任した民間の文化人 今日出海氏に文化庁の在り方をもの申した上野の気骨ある画商“羽黒洞”の主人 木村東介氏の一文だ。その一部を紹介したい。

――日本の文化は権力意識が現代に至るも尚、美術家の権力追従の媚態となり、心ある人々の嫌悪と顰蹙をかってきましたが、驚くことにこの時代錯誤に拍車をかけた最大の要因が文化勲章制度と芸術院制度である事に長官はお気付きでしょうか。……と具申、……中には学問、技術に研鑚、秀れた功労者も含まれているが、受賞の為に多額の運動費をばらまくのが今や常識となり、受賞に骨折った政治家や官僚達に作品呈上等民主主義の本質を軽蔑するものである……――

―― 長官! あなたの大先輩の文豪 夏目漱石は明治40年 日本最初の文展で 親友 青木繁の作品 “海の幸 ”が当時の審査員たちの鑑識から「あれは絵画芸術ではなく単なる下図である」と無残、落選の憂き目にあった時、会場に乗り込んで決然と「絵画や芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わる。自己表現に非ざるものはもはや芸術ではない」と喝破したのです。上手だとか、うまいとか、見事だとか、美しいとか、本物そっくりだとかの賛辞は美の対照ではありません。文豪 漱石の不滅の金言を生かすのはあなたなのです。……――

―― 豪華な造花のガーデンと雑草の中に咲く野菊や露草の美の判別、嘘、偽りと真実と純粋、まずそれを鑑別して頂きたい。庶民、大衆を味方につけた八方破れの構えと、権力や財力を頼みとする八方美人の姿とそのいずれが真実かくらいの判別は聡明な長官にとっては瞭然たることです……。―― と説く。

 中には熊谷守一の様に、文化勲章授賞を知らせる為に尋ねると “文化勲章を受けると人が訪れるか ”と聞く、報道関係や多くの人が訪れると答えると “そんなものはいらん ”と断ったと聞く。純粋で無欲。仙人の様に穏やかな氏の顔がそれを証明する。

 様々な方面から聞こえてくる美術界の裏表、私の意識し関心を持った50年程前から何も変わってはいまい。

 折りしも文化庁平成17年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した和田義彦氏に盗作疑惑の問題が起こった。文化庁は6月5日、少なくとも23作品がイタリア人画家アルベルト・スギ氏の作品と酷似しているとして和田氏の授賞を取り消した。授賞取り消しは昭和25年芸能選奨文部大臣賞に美術部門が加えられて以来始めての事。

 両者の実作品は見ていない。少ない資料、写真やカタログからではあるが私なりに自分の眼を確かめてみたいと思った。

 スギ氏の作品は作家の思想の中から湧き出た情感によって構成され、日常の自然体の生活の中から、それがカフェであったり、バーや室内、始めて出逢った人々であっても、自己と共有した空間の中からさぐり出す様に形が表われている。それは心と手が連動して形を生んでいるのであり、殊更に作品を構成しようとする意図は見えない。そうした雰囲気の中で線は色彩の中から事象の立体物を描き起こしており、それは作品の中に生まれた情感と色彩と線が一体となって構成する。

 和田氏の作品は明らかに線が主体となった作品構成をしており、色彩は線、面と不自然に分割されてゆく。知的に構成されればそれも可能であるが、絵画のモチーフ、情感と合わせて見ると、線、色彩、作品の情感が分離、絵に入っていこうとする心を拒絶する。明らかにデッサンありき作品作りで、その形はどこから来たものか、色彩の中からでも無く、情感の中からでも無い。ヨーロッパの生活空間の中から捉えた情景を描いたとしても作者の感動が伝わってこない。情感のある絵を描いているはずなのに線に情が無い。線は作家の命であり、色彩は作家の思想であるはずなのになぜか遊離している。

 授賞の対象となった “ドラマとポエジーの画家 和田義彦展 ”のカタログを見せて頂いた。その中に掲載された1959年 “波切の海 ” ,63年 “習作 ” “男性、女性モデル ” ,67年 “大使館の娘 ”の4点は精神が充実しており、純粋で芸術に対して一途、可能性を秘めた素晴らしい作品であるのに……。

 作家が新しい作品を作り続けるという事は大変な事だ。生涯、自己の内面を改革し続けなければ新しい創造はなし得ない。

 ピカソが世界の絵画の流れの中で常に改革の先陣を切っていた、がピカソ程他の作家の作品構図を土台に自己の思想、描法を重ね合わせた作家も少ないであろう。 “芸術は剽窃から始まる ”クラナッハ、ベラスケス、ドラクロア、ルノアール、ゴヤ、ドガ、マネ他多くの作家の作品と同じ題材、構図を使った作品を土台に制作している。又、アフリカの黒人彫刻や子供達の描いた作品をヒントにして新しい理論を展開した。

 私の手元に小学校4年生と3年生の子が描いた2枚の絵がある。静物画、ポットが描かれている。蓋の部分は真上から見ているので真丸、底の部分は横から見ているので机との接点が真一文字。もう一枚は机の上のタンブリン。形は真丸、真上から見ている事は明らか、しかし側面もしっかり描かれており、上からと横から両方の視点で同一の形に構成されている。児童画の描き方の中で5〜6才頃になると視点移動という描き方をする。一つのものを違った位置から見て、それを一つの形に造り上げる。ピカソの立体派の作品の中に “ハンカチを持って泣く女 ”という作品がある。眼は2つ正面に並び、鼻は横から出ている。人物の顔を正面、側面、両面から見て一つに構成。ピカソは子供達の作品も集めていたと言われている。様々な情報を採り入れ自己の芸術を遂行してゆくピカソの感受性の豊かさが、総ゆる事象を飲み込んでピカソ独自の芸術観の中に構築されるのだ。

 他人の創り上げたものを、そのまま再現すると盗作になり、変革、改革し、独自の技法、思想を加えれば創造になる。

 10数年程前になろうか、日本画の大家が米国の動物写真家の作品をそのまま使用し一時画壇から消えた。技術的に秀れた作家で愛好家も多く現在は復活している。過去の大家の作品を模する事から始まる書の世界は模作と創作の関係はどうなのだろう。風景画は自然を模し、建築物を描けば設計者の作品を模する事になる。陶芸もしかり、制作過程が判らない古美術を再現する事が出来れば拍手喝采となる。加藤卓男のラスター彩、加藤唐九郎の永仁の壹、中国南宋時代福建省で創られた茶碗 耀変天目、漆黒の釉薬に星紋が現われ虹色に輝く光彩を放つ、それが再現出来れば世界の注目を浴びるのだ。

 芸術の世界で模写、模作は常識の事。それらは盗作にはならない。模写、模作を自分の作品だというから盗作になるのだ。明解な事は作家の心の在り方なのだろう。どんな大家であれ愚作はある。同じ作品を創り続けるという事は優滞を意味する。いかにして新しい創造に発展してゆくかなのだ。ビュッフェが大成し結婚して下降した、キリコがスランプに陥り、名声を得た頃の自分の作品を模した等様々な話を聞く。

 素晴らしい作品も、描くその過程の中には当然愚作も現われる。福島繁太郎が1956年美術手帖の中 久保貞次郎との対談の中で、ある画商が 橋本関雪の所へ関雪自身の絵を持ち込んで鑑定してくれと言ったが、関雪は “いやだ ”という、では偽物ですかと聞くと “いや俺の描いたものに違いないが非常に出来が悪いので俺の筆だと書く事は出来ない ”という。画商が怒って “貴方の描いたものだから書いてくれ ”と強硬にいうので関雪は仕方無く “この画は本物なれど偽にも劣る愚作なり ”と書いたという。面白い話しだがこんな事はどんな作家にも有り、日常茶飯事。昔、日本画の画家がお金に困って絵を売る。自分の納得のいかない作品に落款を押す時、髪の毛を一本抜いて印の間にはさんだと聞く。印に白線が残るのだ。

 私の親父は廃人ならず、俳人であったが、俳句は5・7・5、たった17文字であるが絶対に同じことばは出て来ないと断言していた。俳句人口は多い、過去何百万句いやそれ以上であろうが同じ句はあり得ないと語っていた。最終的には作家の良心がどうあるかなのだろう。作品の贋物、云々というより、その作家自身が贋印であるかどうかに関ってくる。

 障害を持った子供の相談を受けた。7才、広汎性発達障害、母親と連れだって教室を訪れた。絵が好きで夢中で描いているという。10枚程の作品を机の上に並べた。わずかな箇所だが筆触の素晴らしい線の作品が2枚あった。 “これ僕が描いたの ”と聞く。 “この絵は僕のじゃない ” “えっ 誰の ” “学校の先生がここ描いたから僕のじゃない “

 本質的な、原点はそこにある。

 
   
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