青焔会報 2006年7月号

 
   
となりのトトロ  
米山郁生
 
   

 “先生、署名運動でも何でもやりますから残す様に出来ませんか”“折角近くにあるのに7回も8回も申し込んで駄目だったんですよ!”“皆で運動しますからどうしたら良いのですか”

 多くのお母さん方から声をかけられた。行きたくても行けない子供達の声を聞いた。万博会場にメイとサツキの家が建てられる事は、テレビや新聞で報道される前から、青?の東京会員山田達也君から“又、チョイチョイ名古屋へ行きますよ!”と聞いていた。その時点で、私の心の中に大阪万博の“太陽の塔”の様にメイとサツキの家も万博跡地に残るのだなと当然の様にイメージされた。

 15年程前、大学で一級建築士の資格をとった山田君が仕事に役立つ様にと絵の勉強の為に訪れた。研究所では皆の為に率先してよく働いてくれた。人の話をじっくりと聞き、適確な判断をした。物事に妥協する事無く自己の考えを主張するのだが、我を通すのではなく、温和で柔軟な態度、表情からすじ道を通し人を説いた。故郷は静岡。彼の人柄から名古屋で職を定めるより東京に出ると絶対成功する!と勧めた。彼もその意志を持ち、東京に出る前に海外で勉強をしたい、アメリカとヨーロッパどちらに行った方が良いかと問われた。すかさずヨーロッパと答えた。アメリカは現代建築、ヨーロッパで学んだ後の事であり、ヨーロッパの歴史の中から、その精神、刻、空間と建築がどう結びついてゆくのかを学ぶと良い。その空間の中に自己の身を置くだけでも今後の仕事の役に立つと答えた。彼も同意し旅立った。帰国後、東京に出てある建築会社に入社、時を経て好運にも宮崎駿氏の仕事に関し会社から指名され面接に出かけた。多くの人の中から彼が選ばれた。様々の問いかけの中、海外遊学がヨーロッパであったのも決定の要因の一つであったと語った。

 宮崎駿氏の仕事を4つ程終えた後、勤務先の会社が倒産、彼は再度ヨーロッパに旅立った。幾日かして、イギリスに滞在中、宮崎駿氏の御子息ジブリ美術館の館長五郎氏から連絡が入った。宮崎駿氏曰く“ジブリの事務所を造りたい、仕事は山田君しか居ない、彼を呼び寄せてくれ”急遽帰国、宮崎駿氏の事務所の中に自己の建築事務所を設立、多くの人の信頼を受けて仕事を進めた。

 その多忙な彼が、春の“グループ青?”の最終日、毎年必ず東京から搬出作業を手伝いにかけつけてくれた。日程を何も連絡しないのに自分から調べて出かけて来るのである。“忙しいのに遠くから悪いな……”“いやぁ ほんの恩返しですよ” ……

 万博開催期間の中程から “メイとサツキの家”を移築して欲しいと多くの自治体から希望が出た。中には署名運動をしている地域もあると報道された。当初、お母さん方に“大丈夫、会場に残りますよ”と言っていた手前、傍観している訳にはいかない。山田君に宮崎駿氏他造る側の人達の意向を聞いた。建築物は万博協会に権利があるが、万博会場は終了後総ての建築物を無くす事になっている。会場に残す事が一番良いと思うが、残さないのであれば東京三鷹のジブリ美術館に移築したいと語った。

 造作の度合いを尋ねた。万博期間中、皆に見せるだけの目的なのか、普通の建築方法で強度も確かなのか。返事は後者、各々の職人の仕事にかける情熱から素晴らしい出来栄えで、一つの手抜かりも無い、その時代の建築方法、材料を吟味して造作した。特に苦労が多かったのはガラス、当時の製法ではどこも作っておらず、少しゆがんだ表面を再現するのは不可能、仕方なく、同時代の建物を捜し、そこに使用していたガラスを利用した。建物を再現する為に「となりのトトロ」の物語の一コマ一コマの場面を再構築し、統合して一つの設計図に表してゆく、何度も何度も物語を読み、物語に忠実に再現する事に心したとボロボロになった「となりのトトロ」の本を見せてくれた。

 当時の建築方法で強度、手法も万全であれば少なくとも50年以上は大丈夫、制作者側も会場に残す事を望んでいる、であるならば試算。会場に残した場合、常駐二人の管理人が居れば良い。建物も普通の建築方法であれば年間補修費は多くの人が見に来る為の痛みに対処すれば良い。一人の入場料が500円とし、一日200人であれば週6日で年間3000万円。出費が年間1000〜1500万で押えられるとして、採算はOK。万博会場に残せれば、跡地の活性化、リニモの利用、子供達への精神的な面でもプラスになる。

 行動開始、いかに残すか。

 “万博会場に「メイとサツキの家」を残す効果”陳上文を書き始めた。署名の様式も考えた。だが手ぬるい。直訴。幸いな事にある会のメンバーの一人に万博委員の方がみえた。多方面の方々から信望も厚く、知能抜群、弁が立ち、機知に富む、実行力があり親分肌、総てに長けているから不可能な事も可能にしてしまう。“万博会場に「メイとサツキの家」を残す事は出来ませんか”と尋ねた。“大地の塔は名古屋港の方に移設する案があるが「メイとサツキの家」は予定が無い”との返事。“会場に残せば費用もかからなく、維持費は入場料で賄う事が出来、跡地の活性化や、リニモの利用者も増えるのでは、署名運動もしましょうか”と提案。“よし言ってみるか。署名運動等せんでもえゝ”その後、報道などで「メイとサツキの家」を残した場合年間1億3千万の出費と試算が出た。再び氏に“建築設計した山田氏に問い合わせたが、通常の建築であり、補修はそんなに掛からないとの事、入場料を徴収すれば採算は充分とれますよ”“よし 判った”

 氏の“よし 判った”でこれは決まったのであった。

 その後、氏がある会合の講話で“万博あれこれ”を演題に語られた。その中で「メイとサツキの家」は米山さんに残せと言われて残す事になったと話されたが、氏の力量を信頼しお願いした事が功を奏した。

 ところが一つ課題が残った。後日山田君との会話で、“仕事は順調か”の問いに“まあまあ、中々”と意味深な返事。宮崎駿氏に見込まれて仕事をしていれば、その波に乗って仕事は忙しいのではと思ったのだが“中々”である。“ホームページで宮崎駿氏の名前を出してPRに力を入れては”“うん 宮崎さんも名前使ってもいいよ と言って下さる……” メイとサツキの家も移転のスケジュールが組んであったと言う。万博跡地に残す事になったのだが彼の仕事を一つ無くした。これは責任重大。何とかせねば。

 建築士に仕事を依頼するとコストは高くなると思いがちだが、これは勘違い。建築士は一〇%程の設計量で総て施主の意向を代弁。設計から業者との接渉、監督、総てを責任を持って遂行するが、メーカーに依頼するとコストから大きく利益を削除、残りの中に設計料等を含める。各工程も業者側の利益を代弁して事を進める。強度擬装問題などはそうしたシステム上の問題も多くあるのではないか。信頼する設計士に依頼する事は、設計、各種材料、工法、コスト、品質、総ての面から施主を大きく擁護する事になるのだ。

 翌週、ある集まりの中で彼の話をした。天の助け、3日もしない内に話が舞い下りた。“彼に造ってもらいたい”連絡をした開口一番“有り難い。うれしいですねえ。メイとサツキの家を一緒に造った職人さん達が本当にいい仕事をして下さったんですよ。その人達に又仕事をお願い出来るなんて……”

 自分の事よりも先ず人の事を想いやる。私等に恩返しをしなくても良いのに毎年泊りがけで搬出の手伝いに来る。そうした心遣い、心意気が宮崎駿氏の心を動かしたのだろう。まだまだ大きくなって青?の人達の仲間意識を高めていってほしい。

 彼が時折語る。宮崎駿さんと話しをしているといつも先生とダブルんですよ。話しの展開の仕方、雰囲気、相手への気遣い、語り口、子供達や人への愛情の持ち方、相手を包み込んでしまうような温かさ、総てを受け止めてくれる安心感、話しをしているといつも先生とダブってくるんですよ。

 うれしい事を言ってくれる。これが気遣いで無ければ良いのだが。

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県名古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ