青焔会報 2006年11月号

 
   
感覚  
米山郁生
 
   

 “明日は何時に起きなければ”と目覚ましを掛けて寝る。その時間の少し前に起きたり、起きたいと思った時間に必ず起きる。遠く離れた人の事が急に気になったりするとその人の体調が良くなかったり、全く気にかけていない人の事を突然想い出すとその人から電話がかかったり、訪ねて来たり、道端で突然会ったりする。夕方、あれこれ食べたい物が浮かんできたりすると夜の食卓にそれが並んでいたり。

 それらの事は誰もが体験し、日常自然に起こる事だと思う。第六感が働いたと言えばそれ迄だが、これは一体何なのだろう。人間の中にある不思議な力、いや人間だけに限らず、むしろ動物の中には更に鋭い感覚を持っているのだと思う。その不思議な力はいつどの様な時にどの様に起きるのか、それをいかに活用してゆくのか。小さな事でもその事実を記しておき、その焦点を探ってみたいと中学生の頃から考えていた。

 携帯電話は大学の講義や、各地の講演に出かける時、渋滞等に逢って動きが取れなくなった時の用心の為に持っている、であるから自分の携帯の番号も知らないし、人に言う事も無い。

 ある日研究所で充電器にかけてそのまま帰った。翌朝、日本福祉大学に出かける時携帯の無い事に気付く。普段であれば“あゝ 忘れたか”でそのまま出かけるのだが、その日初めて携帯を取りに研究所に寄った。家から研究所迄車で5分、なぜか時間は通常の時より1時間も早く家を出た。学校へは名古屋高速道路の吹上から乗り、知多半島道路の阿久比で下りる。吹上から乗る事は進行方向からすると少し逆戻りするのだが、名古屋高速を使った方が早く一区間でも時間を短縮出来る。その日吹上の入口迄戻ったのだが高速に入る瞬間、気が変わり乗らずに通過。なぜ乗らなかったのか自問自答。“高辻から乗るか………”しかし、高辻は通行止め、侵入禁止。“えっ 何かあったのか”そのまま一般道を走る。下も渋滞。その内ラジオから交通情報“名古屋高速は堀田周辺で事故。殆んど動いていない”と。吹上から入れて高辻から入れないという事は事故直後、もし吹上から入っていれば動かないままSTOP。渋滞の中で“授業時間に間に合わないな”と10年間で初めて学校にTEL。渋滞を切り抜け、学校に。教室に到着したのは始業ベルの鳴り終わりと同時。なぜ理由も無く1時間早く家を出たのか。携帯電話を取りに研究所に戻ったのか。吹上から高速に入らなかったのか。三つの不思議が重なった。

 一ヶ月半位前、学校から新栄教室に戻る途中、名古屋高速で車の窓を開けた。走行中窓を開ける事はまれであるし、高速道路で開ける事は絶対無い。しかしその時、スピードを落とすとカサカサ、キーとかすかな異和音がした。何だろう。普段であると、多忙の為一週間位は何だろうで過ごす。その日は即、梶原モータースへ。

 高校在学中に2年連続で日本表現派展に出品、入選。私のアドバイスや注意を完璧にこなしてゆく、真面目で誠実な高校生梶原悠君の将来を楽しみにしていたのだが、高校3年“先生、教室に通えなくなりました” “そうか、どこへ行くのだ” “京都です” “京大の理工学部か” “はい” 正月京都から帰ると丁寧に挨拶に来る。律儀な青年。絵の描き方もやはり利口だった。その父親が研究所から5分、車の修理工場を営んでいる。毎年の様に陸運局から表彰を受けている。その表示板が十数枚並んでいる。御両親は誠実で信頼出来る人柄で全面的にお願いする。“先生、ブレーキパッドが殆んど無くなっていて、いつブレーキが利かなくなってもおかしくないですよ”タイヤの溝もツルツル、4本を即取り替える。機械や車の事も全く無知無能。何気無く車の窓を開けた事が又、命拾い。

 10月16日、小牧の名北ゼンヌ幼稚園で講演。講演を終えて車を出そうとする。動かない。バッテリーが上がったのか、親切に充電して頂く。“ライト等点灯し忘れていないはずだが、ボケたのか”と自責の念。時間で急ぐ。小牧北から高速に乗る。料金所迄の坂道、馬力が出ない。車だから当然か?。走りが怪しい。快走ならず怪走、どこかで回送にならなければ良いのだがとバカな事を想う。楠料金所、なぜか一番左のBOXに寄る。支払い後、ヨロヨロと発車。エンジンがかかったと思った途端、エンジンが止まる。余力で左の壁際にたどり着く、5分程してエンジンがかかる、吹上迄無事でと祈る様な気持ち。途中エンジン停止、万事休す、余力で約50米。走行車線と吹上からの分離帯、三角地点へ計った様に自然停止。JAFへTEL。“時間が掛かりますから”の返事、しかし30秒程して高速警備隊の車。“早い!” 私のエンストを待っていた様に現れた。“どうしました 安全な所へ牽引しますから”と待避所へ。その後JAFのレッカー車で回送。先導車はJAFではなく高速警備隊の巡回車、偶然吹上から入ってきたのだ。梶原氏曰く、電子制御の不具合が原因。事故になっていたかも知れない偶然の重なり。

 何年か前も長野の親類の家を訪ね、帰りにタイヤがパンクするかも知れないからと何気なく冗談まじりに言って予定より1時間早く辞した。帰りの中央高速道路、走行中パンク。30米程先の待避所に自然停止。止まって1分もしない内に反対車線に高速道路警備隊の車が停止、マイクで“どうされました” パンクをゼスチャーで伝えると分離帯を乗り越えて隊員がかけつけ様々な処理を助けてくれた。

 先週も知立教室の帰り胸が痛んだ。いつもの心臓の痛みとは違う。15分程車で休んだ後出発。知立の上重原23号線に出るなり渋滞、そのまま大高迄ノロノロ運転。大高でパトカー、事故車の何台か。胸の痛みは事故の回避か。それらの事は数え切れない程。何度も命を助けられた。

 虫の知らせ、インスピレーション、予感、直感、第六感。こりゃもうあ感にならない様に常に誰かが助けてくれる。常に何かに守られている。有り難いという感謝の気持ちと、どんな時でも人に誠意を尽くす事が守られる要因を積み上げてゆくのだと思う。

この世の中で最も魅力のある事は不思議を見られる事、不思議を体感する事、だと思う。

 
   
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