青焔会報 2007年2月号

 
   
マジカル・ミステリー・ツアー  
米山郁生
 
   

前号より

 講演を終えて印象に残った事は、先生方が教育に対して真摯である事。会場にみなぎる緊張感、そして問題意識の提起。“絵から心を読める等という事は考えてもみなかった”“なぜそうした事が判るのか”“どの様に心を見ていったら良いのか”最後に総括して御礼の言葉。美術の先生が発言された。“これまでスリランカでは絵を上手く描く事を教育として進めてきた。絵が心を表わすという事が大きな驚きであったが、今後子供達の心を絵からどう見つめてゆくのか、気をつけて教育に携わってゆきたい”と。そして御自分で描かれた10号程の油絵を贈って下さった。

 この講演がどの様に伝わっていったのか、3日後、国営テレビ局が“教育番組を創りたい。是非録画取りを”と連絡が入った。思わぬハプニング。リラックスした服装で出かけたのだが、これでは失礼と前日、町で服装を整える事になった。

 スリランカ出国の日、テロに対し厳重な警戒体勢に入っている国営テレビ局に出かけ全身チェック、4時間弱にわたって録画取り。テレビ局の広い中庭には、画家でスリランカ政府、文部省のシャンパニ・デリカさんと5人の小中学生が待機。子供達が中庭で風景を描き、その作品に対し心がどう見えてくるかを説き、シャンパニ・デリカさんとの絵画教育に対しての問答を録画取りした。

 これまでの10年間、スリランカの子供達の絵を見て、その絵から心がどうあるか、どうアドバイスをしたら良いかを伝えて来たが、その関係が不思議な心情でつながってきた様に思う。一昨年、一日違いで飛行機が欠航、津波をまぬがれた。その時の宿泊地は跡形も無く流されていた。飛行機が出ていて現地に到着したとしても災害地の真只中、食糧も、宿泊地も無く右往左往するばかりであっただろう。今年の出発日も台風並みの風雨の為、午後の便は27便欠航。現地では私達が発った直後、同じ行程の中で自爆テロが2日続けて起こったと報道された。

 そして今一つ、この国が仏教国であるせいか不思議が重なってマジカル・ミステリー・ツアーに変身した事を御紹介しよう。

 スリランカ到着2日目の夜不思議な夢を見た。親父の葬儀で、私が遺体の横で会葬者の皆さんに御礼の挨拶をしていた。ふと気が付くとその言葉は亡くなったはずの親父が私に助言して言わせている言葉であったが、親父の生前の話が次第に私の話に変わっていった。と同時に私が親父の遺体に交差、十字の形にゆったりと倒れ最後には完全に解けあってしまった。ところで眼が覚めた。

 三日目の夜、宿泊先は100年の歴史を持つ英国提督邸であったホテル、レディ・ヒル。夜7時頃であったか、暗く細い山道をバスがかけ登った。途中全身に悪寒が走る。ホテル到着と同時に停電、一帯が真っ暗に。私は皆と離れた誰も泊まらない棟の二階。ホテルの主人が住んでいたと思われる古い大きな広い部屋に只一人。部屋に入ると中央に長身のイギリス系美人、“よくいらっしゃいました。長い間お待ち致しておりました”と寂しそうな笑顔で出迎え、近くに数人の侍女。エッと思った瞬間、スッと消えた。

 正面中央に古く大きな鏡台、ベッドがポツンと2台。テレビはジージーとつかず、大きなタンスはどこも鍵がかかって開かず、カーテンは古ぼけてユラユラと揺れ、風呂の中は異様に新しく、バスタブは無くシャワーだけ。窓から蟻の大群。最も集まった所に水をかけると更に40p四方位真黒に集まってくる。寝室に侵入して来ない様にピッタリとドアを閉める。眠りについても1,2分で起こされる。“話しを聞いて下さい”“眠らないで下さい”窓からは遠くに人々が薄明かりの中で語らいでいる姿が見える。なぜかこの部屋が凍りついた死の部屋の様に思えた。しかし不気味さや不安、恐れはみじんも無かった。

 一晩中眠る事は出来なかった。外では異様に大きな祈りの声が一晩中。その夜から身体が変調。食欲は無く、全身が気だるい。“この部屋でこのホテルの女性主人が思いを残し変死した”と直感。翌朝、通訳のラッキーさんに言うとホテルに聞きに行ってくれた。“先生、そうです。40年前にあの部屋で女性の主人が亡くなりました”その死に様は言わなかった。翌日は高級ホテルのアマヤ・ヒル。大晦日から1月1日の午前3時過ぎまで何回も無言電話が鳴った。翌朝、閉めておいた筈のカーテンが丁度窓際のイスに誰かが座って外を眺めている様に開かれていた。その日の夕方、スッと身体が軽くなり、体調が元に戻った。丁度この日、日本では私の弟が原因不明で体調を崩し、八事日赤病院に緊急入院。家族が病院に集まった。3時間半の時差を数え、私の体調が戻った頃何事も無かった様に回復した。

 “インド洋の真珠”“インド半島の涙” 遠く離れた子供達の光り輝く瞳をとおして、援助とは何か、どこまで、どの様にするのが最良であるのか、どうするべきか。一枚、一枚の絵を通してこの旅は価値ある第一歩となった。

 
   
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