青焔会報 2007年5月号

 
   
判決  
米山郁生
 
   

 宣誓、
 良心に従って、ほんとうのことを申します。知っていることをかくしたり、無いことを申したりなど決していたしません。右のとおり誓います。

 宣誓文に署名した裁判記録が出てきた。昭和55年、研究所が丸田町より現在のブランズウィックに移転した頃の事件である。

研究所の移転を世話して下さったOさんが、資金繰りに困って銀行からお金を借り、私が300万の保証人となった。当人が自己破産、当然弁済金を支払う事となった。

二ヵ月後、新たな件で更に300万の保証分も支払えと銀行の事故係が訪ねて来た。

書類を確認、印は私の実印だが署名が私の字ではない。“これは私の関係していない件”と断ると“認めないとこの何倍か支払わなければならない様にしてやるから”と凄んだ。一瞬耳を疑った、まるで暴力団のもの言い。

書類を確かめる為、保証協会に行くと伝える。“保証協会へ行くとあなたが不利になるから行かない方が良い”と言う。関係書類を整えたいと保証協会、銀行にお願いしても出してくれない。

銀行にOさんの親に支払って頂くので書類を見せたいと言う。年老いた両親にそんな事は絶対言わないぞと思いつつ・・・銀行はすんなり書類をコピーしてくれた。その銀行は統廃合で最初に姿を消していった。

 Oさんはブランズウィックの1Fである商売をしていた。研究所の移転を世話して下さり、懇意にしていたので研究所に毎日の様に出入りしていた。

商売が左前になり、困って銀行から借入れ、Oさんの従業員に署名させ私の机の中から無断で印を持ち出し押印したのだ。銀行も印鑑証明を取らず前の借入分のものを代用。

友人の弁護士に事の状況を説明、“銀行には顧問弁護団がついている、争っても勝つ事は無い”と言う。私の様な可弱い、無知な市民に“支払わなければ何倍も払わなければならない様にしてやる”その言葉が許せなかった。

 裁判、第一回公判の後、法廷を出て双方の弁護士が言葉を交わす。“この間のゴルフどうだった?”“うん調子良かったよ”そうか私達は裁判に出逢う事等一生に一度あるか無いかだが弁護士にとっては日常茶飯事、昨日の敵は今日の友となる訳だ。

敵ではなく皆仲間内なのかも知れない、とすればまあまあという所で一件落着になりかねない。公判での問答総てを記憶しその反論反証を自ら作り、それを弁護士と相談する事に決め、策を練った。判決は裁判官の采配、相手に勝つ事より裁判官を納得させる事に重点を置いた。一つ一つ、丁寧に完璧に。

 問題はOさんが無断で署名、捺印をした事、銀行の担当者が私に逢ってその確認をしたと証言している事、そのウソを証明する事にある。Oさんは公文書偽造で警察に告訴、しかし世話になった人、公判中の答弁では罪状が確定する部分で幸い?にも私の記憶は薄らいで公文書偽造罪は予想通り成立しなかった。

 銀行の担当者は曖昧な証言を繰り返した。借り入れの証書の一枚をOさんと共に研究所に来て私に記入してもらったという。裁判官が“それはどの位置ですか”“研究所に入ってすぐ右の棚の上です”公判の時からもう7年も前の事、当時研究所は4Fにあり、右の棚は1,8mの高さ、その上で署名等出来る事は不可能。

裁判官を納得させる為に証明しなければ。幸いにもその頃の室内の写真があった。1,8mの棚も写っている。日付がある。しかし日付は偽装出来る。その中に写っている10人程の生徒が当時在籍している証明を。会員の納入表が残してあった。その写真の生徒とその時期の納入表を照合すれば、その日付は正確であり、部屋の配置から研究所へ入ってすぐ右の棚の上での署名は不可能となる。銀行員の証言はデタラメである事の証明となった。しばらく経て彼は千葉の支店へ転勤となった。

 銀行にコピーをしてもらってきた書類、その書類の原本に日付が附され、“本人確認、承認済み”の文字を記入、証拠として提出された。日付は私に確認、最初から入っていたと言う。私のコピーには入っていない。私にコピーを渡した事を忘れ、その後に日付を逆のぼって書き足し擬装、うそを重ねて私を陥れようとする。

4年近い争議の中で裁判官が一人から三人に増えた。非常に珍しいケース・・・と合議制の裁判となった。

 最終審理の後一人の裁判官から別室に呼び出された。“次回判決を出すが、物事には10:0という事は無い。お互いに悪い所もあるので示談にしないか”と問われた。

“私の悪い所とは”“実印を机の中に置き、人が持っていきやすい様にしていた所とか”“自分の物を自分の室の自分の机の中に入れておく、それは当然の事で、たとえ道端にあっても他人の物に手を付ける事が悪い。そうした考え方が悪を助長する。裁判とは絶対に公正な判決をして頂きたい。もし示談を断ったら白黒は10対0か何分割する判決になるのか”と聞いた。“10:0で白黒をつけます”その時点で“勝った”と思った。私に分が悪ければ私に譲歩する話しは持っては来まい。“判決を出して下さい”というとしっかりうなづき一礼して出ていった。

次号へ続く

 
   
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