青焔会報 2007年8月号

 
   
奉仕  
米山郁生
 
   

 多くを生産し売り上げを延ばす、企業として当然の事だが、物事にはルールがある。お客様が納得出来ない事を商いにしてはいけない。と同時にお客様が知らない事、分らない事は納得する迄伝え、その上で交渉が成立すれば商いは成り立つ。

今、社会で問題になっているミートホープ、白い恋人、赤福、呉服の健勝苑、比内地鶏、L&G、NOVA、ニチアス、総てそこに問題がある。お客様が勘違いする様な言動はするべきではなく、それを予測して作為的に事をすすめる事は犯罪になる。その作為がそれらの企業を反社会的な企業として刻印を押される事になったのである。

特に食や薬品に関する業種は不特定多数、総ゆる人々の生命を直接犯す犯罪になりかねない。人が健康を害しその事が元で一生病の床に伏す事もある。自社の商品が常にそうした事に直面しているかどうかを認識していたら疎かに出来ないであろう。

 赤福の出荷量は一日数万箱と言われる。それを完璧に良心的にコントロール出来ないのであればその生産量を縮小するべきであろう。赤福に限らず、ある食品が、例えば一日平均1000箱の販売実績がある、天候や気候、行事等により販売個数が変わる、変動個数は800〜1200箱としよう、一日の生産量を800とすれば売れ残る事も無駄にする必要もない。欲しくても買えない人達にはかえってその商品の人気となる。

売り上げを延ばしたいのであればその商品がどれ程の時間帯で売り切れになるのか毎日のデータを取れば良い。天候、気候、場所、日柄、行事、総てを含め売り切れ状況をチェックしてゆけば、どれ程販売個数を増す事が出来るか察知する事が出来よう。

利益を優先して1200箱を作り、売れ残ったものの処理に追われていては不本意な仕事を強いる事になる。土台をしっかり見すえて業績を延ばしてゆかないと総てが砂上の楼閣になってしまう。企業の安定はまず顧客への信用とサービスは勿論の事、従業員の安泰、そして企業の実績と蓄積、それが出来れば次に社会への還元、奉仕ではないか。社会との連帯、奉仕の精神のある企業は反社会的な行為等目論む事は無く、社会からも疎外されまい。

 世界では2億4600万人の子供達が働いているという。とすれば10億人以上の人達が飢えに苦しんでいよう。白い恋人や赤福等の偽装問題によってより賞味期限に対する関心は高まり、期限の切れたものは店頭から姿を消す。それが腐敗したものではなく、まだ何日かの安全な期間を保っている、とすれば、その賞品を第三機関が引き取り何らかの表示をし半額か三分の一程の価格で販売、売り上げの半分を企業に戻し、残り半分を飢えに苦しんでいる国々、人々に援助する。協力した企業は年間の援助高を公表、社会貢献度と企業のイメージアップにつながる。物を捨てる事が勿体無いという精神が偽装につながってゆくのではなく、社会奉仕に向ってゆく事を考えられないか。

 需要と供給について思う時常に考える事は、世界の電力事情。社会が発展してゆくに従い巨大な電力が求められる。現社会は好むと好まざるに拘らず原子力発電に向ってゆく。しかし原子力廃棄物の完全に安全な処理方法が整っている訳ではあるまい。それを際限無く増していって良いのか。人間が過ちを犯さないとは限らない。ほんのわずかなミスが取り返しのつかない事故に発展する事もある。廃棄物処理方法や容器の耐久年数、地震等による自然災害。これは電力会社だけの問題ではなく、世界が一体となって立ち上がらなくてはならない。学者がリーダーシップを取り、政治、経済、自然科学等関連した分野の脳力を結集、検討しなければならないであろう。

 需要と供給、生産、利益、社会的責任、赤福での様々な問題点は、この電力事情にも重なって見えてならない。“判らなければ良い”“今良ければ良い”では絶対に取り返しのつかない時が来る。社会の発展の名のもとに自然破壊を重ねてはならない。時には減速をする勇気を持つ。眼に見えるものから見えない部分をいかに見る事が出来るか、今ある事柄からいかに可能性を考え想像する事が出来るのか、判ってから考える、判ってから対処しているのではあまりにも犠牲が大きすぎる。

 想像し可能性を考え、危機意識を持つ。それは物事を進める為の絶対要件ではないか。

(今回も“連載”となります)

 
   
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