青焔会報 2008年1月号

 
   
魂魄  
米山郁生
 
   

 年末多くの方々から賀状辞退の挨拶状が届く。毎年50通程。その年親族を亡くされた方々の悲しみが伝わる。近しい方を亡くされた心内は筆舌に尽くしがたい、その心内に少しばかりのやすらぎをと願う。

 おふくろは平成十三年に亡くなったのだが、生前不思議な出来事が多くあった。家族が団欒中、突然“九州のAさんがみえましたよ”と言う。知人、30年程逢った事が無い、誰もそんな気配を感じない。妹が玄関迄見に行く。“誰も見えませんよ”翌日、その時間にAさんが亡くなられたと訃報。そんな事が度々起こる。

若い頃、旅に出た見知らぬ土地で、ある決まった場所に行くと身体がけいれんする。その場所で事故があり、人が亡くなったり、宿泊先の部屋で急に息が苦しくなる。皆が騒ぐ、医者が来るが治らない、暫く経って天袋を指差し“扉を開けて下さい”とあえぎあえぎ言う。扉をあける、中からまつっていない故人の遺骨が出てくる。親父の亡くなる時、親父の苦しみは“私が代わりますから”と告げる。臨終の頃おふくろがけいれんして倒れる。救急車を呼ぶ。タンカが運ばれるとスックと起き上がり“着替えますから”と着物と足袋を替え、またバタンと倒れる。病院の中、気を失っていたはずがパチッと眼を開け、付き添っていた妹に“今いかれましたよ”と言う。同時刻親父は眠る様に息をひきとった。 

生前、おふくろは死後の世界は絶対あると言っていた。私が死んだらその世界を何らかの方法で教えてあげると言う。兄弟は気味悪がって“いいよ”と遠慮する。私は死後の世界はあると信じていた。“教えて欲しい”と頼んでおいた。おふくろは死の3日程前、一人娘の妹に“頑張ったから(生きることに)もういいね”と告げて安らかに眠った。人の死は様々であるが、その刻を当人誰もが判っている様に思う。生前の生き様に自ら別れを告げてゆく。俳人の親父は私には言わなかったが、毎年青?展を見ていた。亡くなる丁度一年前,、健康な状態であったのだが、展覧会場で偶然逢った私の友人に来年はもう見られなくなるからと告げていた。別れの数ヶ月前から知人、友人に又、忙しさのあまり出かけられなかった故郷信州を幾度か訪れ、古くからの知人に何十年振りかの再会を果たし人生を語ったという。

残された人は悲しみに暮れるが、本人はその刻を予測しその時期を確かめ、けじめをつけてゆく様に思う。但し思いがけぬ事故や突然の災難、予測出来ぬ事件等に出逢うと、その事に対しての覚悟が出来ず想いが動揺し魂が浮遊するのではないか。

死後の世界があるという事をおふくろは数々、明解に示してくれた。余命幾許も無い病院のベッド、枕元の手すりの枠に妹が二つの鈴をつけておいた。チリリン、チン、チリンと澄んだ音色をおふくろは楽しんで鳴らしていた。死後、柩の中にその鈴は入れられた。それから2年、妹に“家を変わるので見て欲しい”と頼まれた。妹は20代半ば、首のリンパ腺が腫れ、会社の診療室の勤務医に診察を受けた。日常の事には口出ししなかった頑固な親父には珍しく、“若い女性、傷をつける事の無い様に温存療法で”と依頼した。しかし、切開。容態が急変した。全身に発疹。広範性紫斑性発疹。身体が紫色に染まり、原因不明の病状。名大病院、聖霊病院、多くの病院を巡り医師が昼夜、月日を費し生涯の病気となった。多くの医師が口を閉ざした中で名大病院の内科部長の医師が親父を呼んで言った。“これはリンパ腺を切った時の薬の処方を間違えた薬疹です”と断言。“しかし、医師が医師を訴える事は出来ない”と頭を下げた。

当時40年程前にはその様な証明は不可能であった。その頃20代の私が会社に申し入れた。“慰謝料をとは言わない。薬を間違えた事、その責任による治療に関しての対応は見て頂きたい”しかしそれも適わなかった。親父もおふくろもその事を心残りにして去った。

 妹の依頼で5、6軒家を見る事になった。生涯病院通いする為、交通や環境、家の相を考えた。一軒、中に入る前から決めた家の交渉に入った。要件がスムーズにいかず、決定迄に半年を要した。担当者が社長に叱られた。“その物件は希望者が多い、他の人に廻して早く結論を出せ”しかし担当者は絶対この人に決めるからと譲らなかった。家の中も見ないで決める事等あり得ない事だが何の不安もなかった。三ヶ月程経ち中に入った。応接間の正面、中央の柱に妹が母親の病床の枕元に下げ柩の中に入れた、そのものの鈴が二つぶら下がっていた。同じ音色で……

 お茶の好きなおふくろの仏前に妹は毎日お茶を供えた。ある日、忙しさのあまり美味しくないお茶を適当に入れて供えた。その途端、茶棚の奥、前にビン等が並んで落ちる筈の無い美味しいお茶の筒が床にカタンと落ちた。“手を抜いては駄目ですよ”と言わぬばかりに。

 弟が車で遠出をした。トラブルで車が動かなくなった。JAFを呼んだが原因不明、途方に暮れているとキーも差し込んでない車のエンジンが突然動き出し事無きを得た。又、他日、車で山間地方に出かけ、山道、急勾配の坂道を下りる時、右は断崖、左は谷底。一瞬ブレーキを踏もうとする。突然おふくろの声“ブレーキを踏んでは駄目”もしブレーキを踏んでいればタイヤがロックされ、ズルズルと滑って谷底に転落。一命を取り留めた。

 そうした事柄が数限り無く起こる。難題が生じる、中々解決しない。“苦しい時の神頼み”ならず、父、母の仏壇に手を合わせ心を込めると殆んどが2、3日の内に解決する。

 亡くなられた方は肉体は消滅するが魂は生きている。肉体のある内は人間のその能力の内でしか行動する事は出来ないが、肉体が消滅すると超人的な力でその魂が、残された人々の為に力を尽くすのだと思う。

 私は常に、亡くなられた知人、友人、総ての人達を想い起こし魂に心を寄せ祈りを捧げる。その人達が生きて果たしたいと思った事を私を通して果たしてゆく。その力を下さると思う。その力の強さは生きている人々総てに対し、力を尽くし魂を浄化交わしてゆく事が、その人々が他界しても自己との魂の交流を強くしてゆくのだと思う。

 昨年の日本表現派出品作は“魂魄” 

心をつかさどる魂は天に昇って神となり、肉体に宿る魂は現世に残って霊魂となる。

 
   
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