青焔会報 2009年1月号

 
   
公平  
米山郁生
 
   

 公平とは・・・ 簡単な様で難しい。  総ての事柄に、片寄らず差別の無い事なのだが、総て均等にする事が公平とは限らない。例えば、十人で組んで仕事をする。その収益を十人で均等にすれば公平・・・とすればあまりにも単純な考えだ。中には、要領が良く能率のいい人、気転の効く人は仕事量も多くなり、のんびり、じっくり屋はそれなりの仕事量となる。仕事の内容の得手、不得手や、仕事内容にも依るが、重要な部分、難しい工程と単純な作業とは当然差がつく。それに自己の持てる力量を100%、それ以上に出し切る人と適当にやっている人の差も出来る。人、各々にその作業の経験度が違えばそれも加味される。そうした事を総て評価して公平になれば理想的なのだが、問題はそれに止まらない。このメンバーの中に障害を持った人が加わっていたとしたらどうか。障害にも依るが、その人の能率が落ちたとする、それでもその人は100%の力を出し切って仕事をしたのであれば、 他の人々と同じ評価をするべきであろう。それが社会であり人間らしさである。障害というものは、自分の中に無いとしてもそれは偶然無かっただけの事であり、誰にでも起こり得る事なのだ。そして、この十人の中に一人の病人が出たとする。ズル休みでない限り周囲の人が分担して手助けする。公平という事は、一度一度の状況の中では不公平になったとしても、その事が重なって公平となる。大切な事は総ての人々がお互いに相手の人々を想いやる事が出来て平等、公平の意味が出てくる。これらの事は全く単純明解な事なのだが・・・・・

 麻生首相が2兆円の定額給付金を実行する、と頑なになっている。年金の問題、官僚の無駄使い、天下りの問題、政治家の関わる様々な問題点を解決しないままに思いつきで点数かせぎをしようとする。自分で作ったお金でなく、他人が苦労して作ったお金だから大切に使おうとする気持ちが無い。他人の金をいかにも自分の善行の様に見せる欺瞞にしか見えない。しかも2兆円を配る為の事務的な費用が825億円もかかるという。受け取るべき多くの人々がその事を喜ばず、他の弱者の為に使うべきと主張しているのではまるで茶番だ。

 消費税についても、2011年から上げるのではなく、上げる為の準備に入る!と賛成派、反対派の御機嫌伺いの様相。しかし、その前に、なぜ消費税を上げなければならないのか、財政が破綻する原因はなにか、なぜそうなったのか。改善する方法を洗いざらい総て提示し、国民に明らかにする。それらを納得して始めて出てくる問題なのだ。政治家が理想と信念を貫いて事に当たるという精神的なものがまるで見えて来ない。国民から預かったお金を政治家が配分する役目を担っているだけで、勝手に使う権利は無い。自分達のお金の管理が悪く、無駄使いをしたので無くなった。又、お金を出せでは話しが違う。これは明らかに公金横領、犯罪なのだ。公平さをどこまで深く見極める事が出来るか。それが政治の中に最も求められる事なのだが、現在の政治状況の中にはそれが全く見られない。

 幼少の頃から、5人兄弟に対するおふくろの教育は徹底していた。一つのものは5人で均等に分ける。何事も全員が揃うまで待つ。誰か一人、その場を外さなければならない時は、その人の分は少し大きく、多く、残りを均等にする。人を誉める時はその人の居ない時に、不服を言う時はその人の前で。陰口を言わない、嘘をつかない、ズルい事をしない。目上の人には敬う気持ちを、目下の人には庇う心を。兄弟喧嘩をすると、二人正座をさせられ、その原因、成り行き、お互いの気持ちを察する事、そして反省。謝る迄徹底して何時間でも叱られた。加えて他人に対する礼儀、思いやり、気遣いを説いた。反面、クリスマス、正月、誕生日、お祭り等、事ある毎に近所の子供達を招いて親子共に楽しんだ。5人に対してその差別無く、誰もが納得していた。そして何かいい事があって、自分がその場に居なくても、皆が平等に見てくれているという安心感があった。

 先日テレビで、障害を持った人の特殊な才能について放送していた。ある司会者が “自閉症の人達の中にはこういう人はごくまれに居る ”といかにも知識がある様な口ぶりで解説をしていた。無礼な! そうした人達は健常な人より秀れた感性や才能を持っている人を私は多く知っている。少なくとも健常者の中で特殊な才能を持っている人の割合より、障害を持った人の中の割合の方が多い。しかも持っていないと思われている人達の中には我々が気がつかない、本人もそれを伝えられない人も多く居ると思う。完璧な人間等居ないのであるから、上から見下す様な考え方は人を愚かにするだけだ。

 阿倍さん、福田さん、麻生さん、人間はいい人なのだが、残念な事にエリートの家庭でエリートの教育、大切に大事に育てられた事が災いをしたと思う。負の立場に居る人、声なき声、見えない部分に眼を向け、耳を傾けない事が命取りとなった。

 絵画の大切な事は対照を正確に見る、正確に再現する力をつける、各々の事象のバランスをとる、最後まで描き上げる精神力を持つ、それらを他人に追随して行うのでなく、自身の内面への問いかけによって創り上げる。

 絵画も、子育ても、人生も、総て同じなのだ。

 
   
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