青焔会報 2010年5月号

 
   
出逢い  
米山郁生
 
   

 第38回グループ青?展、搬入日の強い風雨に会期中の天候が危ぶまれたが8日間見事に快晴、青?会員の日頃の心がけの良さが天に伝わったのだと思う。会期も通常6日が2日増えて8日間、5月の連休中全日を使用。室数も3階フロアーの7室を除いて全室を借りられるという事は有り難い事だ。

 これも博物館開館と同時にグループ青?展を博物館にて開催、その長い開催期間中の実績も考慮に入れての事だろう。出品者数525吊、出品点数1016点、会期中の入場者数5592吊、それらの多さもさること乍ら、作品の質、展示状況も評価の対照となろう。会期中、博物館の職員が作品の展示状態、各々の部屋の有り様をカメラにおさめて行く。次年度の借館の為の検討資料とするのであろう。

 今年の搬入、搬出の作業は見事であった。搬入については、昨年はやり残した作業が多くあり、初日の昼過ぎまで様々な作業に時間を費やした。今年は少し残したのみで完了。1000点程の作品を4時間で展示するという上可能に近い作業を成した。搬入展示はやはり現場で作品を見てから展示位置を決めたい。総ての作品が生きる為には作品のテーマ、大きさ、色調、モチーフ、描法、画材、作品の完成度、各々を総て検討の対照とする。どの位置に展示してもその作品が生きる、それが出来るという事は展示する事の醍醐味でもある。特に気を使う事は壁面の両端、室の角、その位置にいい作品を展示する事により室が一段と確かなものとなる。

 搬出に於いては1時間で全作品と仕切板撤去、これも上可能に近いと思われていたものが僅か30分で撤去、残り30分で道具類の整理と驚くべき処理能力。出品者のキビキビとした行動力もさる事乍ら、高年大学のOB、青?の会員で作っている青?鯱城会の方々が昨年の実績を踏まえ自主的に事前に綿密な打ち合わせ、会合を重ねた成果のたまものだ。後一歩、この計画が会員全員に浸透すれば4時間での搬入作業完了も可能性大となる。来年度は是非実現したい。

 ここ数年、展示に関しての問い合わせや感想が多い。児童画が年齢順に展示してあり、子供の成長過程の中での絵の描き方がよく判る。色が素晴らしい、タッチが元気、自由奔放で絵が生き生きとしている、児童画に対する賞賛は多い。子供達が学校の先生方に案内状を渡す。先生方の多くが展覧会に来て下さる。子供達の展覧会に出品する前と後では絵のいきおいが違う、大きな会場で多くの人達の前で自分の作品が発表出来たという事が自信につながり意欲を増してゆくのだ。

 全体の展示についても作品一点一点が生き生きとして見えるのはなぜか。展示についてのコツを教えて欲しい。これだけ多くの作品が並んでいても皆良く見えるのが上思議だ。中でもこの人から貴重な言葉を頂いた。最初の第1室に入ってすぐ感じた “いい展覧会だ! ”と。感じた通り全室廻っても一人一人が最後迄完全に自分の力を出し、ていねいに仕上げている、素晴らしい展覧会だと言われた。失礼とは思ったが職業を尋ねた。愛知県美術館の所蔵作品の写真を長年撮っているとの事。いい作品を真剣に見つめ一点一点しっかりと記録におさめてゆく。絵を見る事に関してはプロ中のプロ。そんな方が青?展を誉めて下さる。何にも増して有り難い事だ。

 開催3日目、受付で初老の男性が記帳をする。パンフレットを受け取り立ち去ろうとする。あっ 入場はこちらからですよ! “あヽ私はこのパンフレットが欲しいから毎年来てるんだが、絵を見なきゃいかんね ”と会場の中へ。受付けでそんな話しをしていた5日目の午後、老婦人が私はこのパンフレットを毎年大切にしまってあるのですよと言われた。青焰の関係者でない一般の人々が “青焰展が楽しみだ ”と言われる。 “この時期、注意して見逃さない様にしている ” “パンフレットが楽しみだ ”一人一人の絵に対する心の在り方が多くの人達の共感を呼ぶ。

 近年この展示会場は上思議な出逢いを演出する。20数年前、小生が東尾張病院に絵画教室のボランティアを始めた頃の医師、作業療法士、心理療法士、看護士5人が約束もなく偶然に会場で出逢った。青焰の違った教室で習っていた人が昔の友人。20年振りで会場で出逢ったりもする。

 創立会員 吉田つづ子さん(旧姓田畑つづ子さん)の遺作を会場に展示した。彼女は故郷伊勢の海で海女になり海底に潜ったまま天国へ旅立った。追悼文を急拠展示しながら、15年程前糖尿病を患い盲目になった青年北村里志君に絵を描く事を勧め亡くなられた時の遺作展示と全く同じ場所。美しい色彩の作品を手さぐりで描いた彼が亡くなられる迄傍に寄り添い献身的に絵具を準備していた栄養士の女性がいた。逞しく和やかに微笑む好青年と結婚、毎年青?展と日本表現派展に必ず来られていたがこの3年間顔を見ない。どうしたのだろうと思い乍ら追悼文をかけ終えふと振り返るとそこに彼女が一人立っていた。いつもの彼が居ない。 “あれ 今日は一人、彼は? ”と聞くと、3年前海に潜ったまま亡くなったんです、スキュバーダイビングで・・・。

彼女が帰った直後、盲目の青年の主治医で彼女の上司であった病院長がみえた。 “そうか、知らなかったなあ・・・。私もまた絵を描こうと思ってる! ”と寂しそうに笑った。そうだった。その病院長の依頼で患者さんのキャンプに同行。その中で北村君と寄り添っている彼女に出逢い絵を描く事を勧めたのだ。 “僕、眼が見えないから描けないよ ” “眼が見えなくたって描けるよ。絵は心で描くのだから ”・・・・・

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県吊古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ