青焔会報 2010年10月号

 
   
アクビ  
米山郁生
 
   

 猛暑が過ぎた。この何日か秋の風が心地よい。レッスンの時、アケビを頂いた。 “これは何 ”と何人かの人が集まってきた。都会では知らない人も多い。 “これはね パカッと口の開いたのと開かないのでは名前が違うんだよ。知ってる? ” “どう違うんですか? ”口の開いていないのがアケビで、口のパカッと開いているのがアクビだよ …。少し後で叱られた! 口は災いの元。心で思った事を頭で浄化せず直接口に出すと時には “舌先三寸 ”反感を買って唇を噛む事になる。

 年配の御婦人が油絵を描いている。色を重ね深みが増す。美しいと思った。いいねえ、どんどんきれいになるよ。御婦人振り返り一言、 “あら、私そんなにきれいになったかしら ”口は災いの元。いや、これは災いではあるまい。そしてボソッと一言。もう最近根気がなくなっていかんわ! いや、その年になったら婚期が無くなっても仕方無いよって言ってまた睨まれた。

 疲れていると脳のビスが緩んでくる。キチッと締まっていると物事は整然と事を成すのだが、緩んでいると隙間から色々な考えが飛び出ようとする。それを脳が出しちゃえ出しちゃえと押しやるものだから駄じゃれが飛び出る。脳には引き出しがいくつもある。人によって違うのだろうが、無限にある人や、引き出しが現れたり消えたりする人もいる。中には壊れて中のものが散逸したりする。様々な思考が其々の引き出しの中に整理されているが、壊れるとあちこちの引き出しが半開きになるので、その中から飛び出した経験や知識が適度に融合して変な状況や言葉を創り出す。

 しっかり躾の厳しい子はこんなんにならない。寸分違わずキチッと軌道にのって秀才の道を歩むが、そんな子に限ってノーベル賞はとれまい。どこかうっかり、なんかゆったり、時にはボンヤリ、そして一心不乱に脳の引き出しを出したりしまったりしているうちにビリッピカッと電波を発してとてつもなく人の考えつかない事が想い起されるんだろう。

 赤ん坊は太古からの総ての知識を母親の体内の中で学んでくる。生まれると同時に総てを忘却の彼方へ放つ。人は生きる事によってその一つ一つを想起して生きるのではないか。大人は物事を理論的に判ろうとするが、子供は本能的に判っているのはそうした事が原因なのではないか。生きる事、生まれてからの体験を元に、体内で学び、過去の事柄を想起してゆく。

 小牧教室、小2のE君。夜7時から9時のクラスで眠いであろうに大きな瞳で黙々と絵を描いている。突然 “先生、お母さんの雷より普通の雷の方がましだよ。お父さんは泣いてんだよ。僕には欠点がある。僕の欠点はね、こんなに恐いお母さんなのに甘えちゃう事なんだよ ” “そうか、甘えるのは次の雷が落ちない様にする為だろう ” “先生、よう知っとるなぁ。お母さんの雷の大きさや長さを僕ちゃんと調べてんだよ ” “そうか、頑張れよ。雷に撃たれても撃たれても負けずに頑張って生きていると大きな立派な人間になれるからな ” “うん、ありがとう。僕こういう先生に出逢える為に生れて良かったよ ” “     △□×○><      ”小学生2年である…。

 この夏の猛暑で地球のビスもゆるんできたのか、自然の中の様々な変異もある。米の話。古米より新米の方が安いという。品質が落ちたのであろう。まあ仕方がないが、新米よりベテラン(古米)の方が重宝されて当たり前の事だから。

 夏のある夜、名駅近くで会議があった。研究所まで歩いて帰る途中、白川公園を横切ったのだが、そこ、ここのベンチや草むらでセミヌードがいっぱい! あまりの多さに驚いてじいっと見入ってしまった。翌日その話を聞いた知人が公園に出かけた。セミのヌケガラを見に!

 カルチャーでOさんが “なかなか描けません ” “描けるよ簡単だよ ”と言ったら、 “先生は朝飯前でも私は夕食になっても描けません ”Aさんが “先生、これでいいですか? ” “いや、ここをもう少し塗り込んだ方がいいよ ” “しまった、先生に聞かなければ良かった! ”

 音楽を聞かせて花を育てると良く育つと聞く。落語を聞かせて育てた果実を食べたら笑い出すだろうか。

 猛暑は過ぎた。ネジを締め直さなくては。

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県名古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ